ニオイ問題 その3-中1の3月ー

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クラスの誰がどれぐらい具体的に迷惑に思っているのか全く知らされないまま

学年主任に

「自宅に担任と学年主任である私がやって来て対応をお願いしている時点で限度を超えた問題になっているということです。」と言われ、心底当惑していた私たちでした。

 

のどかが「僕からみんなに話して、もし迷惑かけているならどんな風に迷惑なのか聞いて話し合いしたいし、迷惑かけてはいけないのはわかっていますし。」と言うと、
またもやのどかの言葉をさえぎるように・・・

主任「そんなことおまえが言うことではない。」「そういう相談とか今できると思うか?もしするとしてもそれはおまえではなく担任がするもんや。」


あたかも「担任や学年主任まで二人して出向いてきているのに、親子揃ってこの期におよんでまだクラス全体に重大な迷惑をかけていることが判らぬか。」と言いたげな語調を感じました。


私はのどかがみんなに迷惑をかけてたら悪いと思っている気持ちがよくわかったので、主任のあまりの言い方に怒りを覚えました。
今でも思い出すと腹が立つぐらいです。
のどかは二人の先生の言うことを実感できないままも受け止めて、「本当にクラスのみんなの迷惑になっているのなら何とかしないと。」と真剣に考えて発言したのです。
ただ、小さい頃から薪ストーブで暮らしているので「冬場は洗濯物を薪ストーブのある部屋で干すのが当たり前。
その暮らし方を変える必要はないからみんなと話し合ってできるだけの改善策をとろう。」と真剣に悩んでいたのです。
それなのに「おまえが言えることではない。」とは。
あまりにも一方的で高圧的な姿勢ではないでしょうか?
学校というのはいろいろな環境で育っていろいろな暮らしをしている人たちがやって来て、そこでいろいろな人と知り合うことで話し合っていくことでいろいろな価値観を知って、
そこから社会に出ていく場所なのではないのでしょうか?
なぜそんなに「話し合う」場を拒むのでしょうか?

クラスの中で(多分薪ストーブのニオイが原因と思われる)不思議なニオイが時々するのどかが一人いる。
そのニオイに馴れない人が多数いる。
としても・・・そこでそのニオイを何とかしてやめろと言ってくるのはおかしくないでしょうか?
ましてそのニオイが嫌だと言っている人が多数いるのかどうかもこちらにはわからない状態で一方的にのどかに怒鳴りつけてくる。
クラスの中で一方的に「のどかくんのニオイ嫌やから何とかして。」と言ってくる子がいたら「みんなでどうしたらいいか話し合おう。」というのが先生なのではないでしょうか?
クラスの誰からも具体的に言われたわけでもないのに、
なぜ先生が話し合おうともせず、一方的に「どうにかしろ。」と主張を押し付けてくるのでしょうか?


次いで、

担任から「寒くても窓を開けたりとかいう状況にもなっているし・・・」と言う発言があったので、

私たちは「クラスの友だちにさっき申しましたようにお互い様ないし個性の共存と言った程度を超えて重大な支障をきたしているということですか?」

「又、それが授業を受講すること自体に重大な障害となっていると判断されているわけですか?」

「又、それがほんの一部のメンバーでなくクラスのまぁ何%とまでは特定しなくても『大半』というべき割合の級友が学級生活を送る上での障害を受けているとおっしゃりたいのですか?」

等とお聞きしたところ、

いずれも「全くその通り。」という旨の返答でした。

 

又、担任からは今後のことにふれ

「このままだと来年度のどか君と一緒のクラスになるのはイヤやということになっていく。そんなことになると本人のためにも困ると思うので、今のうちに緊急に手を打ってほしい。」

とのどかのニオイが来年度のクラス編成上の支障にすらなりかねないという発言がなされました。

主任はさらに「話し合ってわかってもらうと言っても、今これ以上、ガマンして下さいとか言っても果たして相手に理解してもらえるものか。とても疑問で云々。」

と述べ、「これ以上?」対話・交渉・共調の可能性はない旨主張しました。

 

何回か生徒同志で話し合ったが上手く行かなかった上でのセリフなら判りますが、私たちとしてはなんとも納得がいきませんでした。

当夜の訪問での「2人」の表現として

「これはあくまでご両親へのお願いである。」

「どんな暮らし方をされるかは全く自由である。」

と言った字句がありましたが、実際のところ、

①具体的にどのような人物が何人位、どのような程度・形のクレームをしているのかという提示はないまま「クラス全体が迷惑を被っているという抽象的被害存在。

 

②教室に変なにおいが近頃するとしてもその原因が和1人であると特定する根拠として「のどかがいるとくさいと感じる。」(2人)

「校舎の廊下を歩いてきただけでくさい。」(主任)

「のどかがいる時は理科室がくさくなっている。」(主任)

といった教師「2人」の自分たちの感じるくささという点しか提示されていないこと。

 

③何故、生徒間の対話をのどか本人も誠意を以て行いたい旨(場合によっては謝罪も含め)、切望しているのにそれを禁ずるのか不可解であること。

 

④「この家に入らなくとも家に近づいただけでニオイがしました。」(主任)

と吐露していることからも察せられるように、また「ファブリーズ」をとても好適なツールとして用いようとしていることなどから「2人」は化学物質等のフレグランスには好意的・親和的である反面、薪ストーブの木香や木酢のような自然的フレグランスには大変不慣れで「くさく」感じる感性の持ち主であり、そのため様々な個性の1つとしての「香り」の平等的共存を前提とした対処・指導を閑却し、「迷惑なニオイ」としての薪ストーブ臭を駆逐し、「正しいあるべきニオイ」としてのケミカル系フレグランスで教室を統一しようという方向に走っているのではないかという疑念。

 

・・・等により、私たちは「2人」のこの夜の申出『なんとか今すぐ手を打ってのどか君がニオわないようにして欲しい。』にはにわかに承服し難い思いでした。

そこで、

「他人に迷惑をかけてでも個性を出せばいいなどとは思いませんのでもし、本当に迷惑なのであれば、当方としても多角的に打つ手はありますので検討させて頂きます。」と一般論的な観点から返答しました。

それを受けて「2人」は謝辞を残して帰途につかれました。

 

その4につづく・・・