和と平  

 

f:id:midori-yablog:20200524090237j:plain

 

 

12年前の5月24日はのどかの弟が生まれた日でした。

のどかの弟はたいらと言います。

和と平で平和。和平。

2人の息子に恵まれた私にとって本当に平和な幸せな時でした。

 

それから8ヶ月たったある日、たいらは突然いなくなってしまいました。

眠っていると思っていました。当時5歳だったのどかが様子を見に行くともう息をしていなかったのでした。

たった5歳ののどかはたいらの様子がおかしいのでたいらの胸に耳をあてて動いていないことを確認したようでした。すぐに私に知らせてくれました。

車で15分ぐらいの病院へ救急車を待つより直接連れて行った方が早いと連れていきましたが一度も呼吸は戻りませんでした。

今でも信じられない気持ちで悪い夢だったらどんなによかったのにと思います。

が、現実だということはもちろんわかっています。

 

たいらが亡くなった直後は毎日私が泣いてしまっていたからか、のどかが「生まれてこなかったらよかったのかも。」と言いました。

私はどうしてもそれだけは思いたくなかったので「いなくなったことは本当に悲しいけど平が生まれてきてくれたことはそれ以上に嬉しいことだから平が生きていたことを忘れないでね。」と伝えました。

今ではのどかもそう思ってくれているようです。「生まれてこない方が良かった。」と言ったことも忘れているようです。

 

平は敦賀にある助産院で生まれてくれました。

すべてを包み込んでくれるような優しい場所です。平が亡くなったことは本当に寂しい。でも平が生まれてくれたから私はその助産院で出産することができて幸せでした。のどかにとっても助産院で過ごした時間はきっと心に残っていると思います。

出産について書くととても長くなりそうなので今は書きませんが、平が生まれた時にのどかは一緒にいてくれました。夫はそういう場所にいることが絶対に無理なので外で耳を澄ませていたそうです。無事に生まれた後、のどかと二人で助産院中を踊りながら走り回っていました。

 

そんな素敵な出産を体験できたからその後の今までの人生で一番つらい出来事を何とか乗り越えられたのかもしれません。

乗り越えられたかどうかは今でもわからないのかもしれませんが。

 

平は8ヶ月しか生きていなかったのですが、いろんなことを教えてくれました。

生まれてくることの素晴らしさ、家族で過ごせる時間の大切さ、死というものは突然誰にでも起こり得るものだということ。

のどかは平が亡くなった時、死んだら終わり。だから生きている間は精一杯生き続けなければいけない。ということを本当の意味で学んだのだと思います。

 

このブログの下書きは2年前に書いたものです。

毎年、なんとなく公開しそびれてまた1年過ぎていました。今年は公開しようと思います。たいらのこともまた書いていければと思います。