学校ってそもそも行かなければいけないところなの?

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のどか7歳。建設中の家の薪ストーブ置き場づくり。

 

 

不登校で悩んでいる方に「のどかくんが学校に行かないことについて悩んだことはないですか?」と時々、聞かれることがあります。

「悩んだことは一度もありません。」と答えています。

聞かれるたびにもちろん思い返しながら考えるのですが、「悩んだことないなぁー。」と思います。

 

なぜ学校に行くのでしょう?

成長して社会に出た時に自分らしく生きられるように。

そのためにいろいろなことを学ぶために行くところだと思います。

 

子どもが楽しく学校に行っているなら学校に行っていてとても良いことだと思います。

子どもが学校に行きたい、または行きたくないと意思表示をしているわけでない場合は子どもの保護者は学校に通わせる義務がある。

ただ、子どもが学校に行きたがらない場合は、無理に行かせなくても良いのです。子どもは行きたくなかったら行かなくて良いのです。

以前のブログに載せていますが、

「児童・生徒が7日以上出席せず、その他出席状況が良好でない場合で出席させないことに正当な事由がないと認められるとき」就学義務履行の督促を成さなければならないと文科省のホームぺージに記載されています。

その「正当な理由」とは、①事故や病気によるもの ②不登校 等と書かれているので「不登校」の場合は、行かなくて良い正当な理由があるということなのです。

 

それでも「学校に行かないことは悪いことだ。」と思いこまされている方がとても多いことを「不登校のススメ」のお話会やネットでの不登校に関するいろいろな投稿で実感させられます。

 

どうして学校に行かないことは悪いことなのでしょうか?

のどかが小1の時に教頭先生がのどかを説得(?)しようと言ってきたことは3つ。

1.文科省の「学習指導要領」を持ってきて、「これは教頭先生とか校長先生とか教育委員会の人とかよりもっと偉い人が決めてるもんなんや。ほらこの漢字のページ見てみ。こんだけの漢字を小学校6年生までに覚えないとあかんのや。学校来なかったらこんな全部覚えられへんやろう。

 →のどかの答:家でも覚えようと思ったら覚えられると思う。

 

2.朝きちんとした時間に起きなくて寝すぎたりしたら頭が痛くなったりするやろう。大人になったらみんなきちんとした時間に起きて会社に勤めないとあかんから、小学校のうちからその練習をしておかなければならない。

 →のどかの答:寝た方がいい時に遅くまで寝ていても頭は痛くならない。みんな会社に勤めると決まっているわけではないし、のどかもいつも遅くまで寝ているわけではなくてお父さん、お母さんと一緒に起きて畑を開墾したり、いろいろ家の仕事をしてるから学校で会社に行く練習と言われてもよくわからない。

 

3.先生は車でスピードを出すのが好きやから家から学校まで来るのに、もっとスピードを出したいけど他の人に迷惑をかけたらあかんから制限速度を守って来てる。ルールは守らないとあかん。

 →のどかの答:それとこれとは別問題だと思う。

 

余談ですが、給食食べずに「おいしくない」と言ってて食べてみたら「おいしかった」ということもあるだろう。食わず嫌いはよくない。という話もありました。

 →のどかの答;だから僕は、1月食べてみて決めたんです。

 

どれも「学校に行かないことが悪い」ということの理由として成り立つとは思えません。

全く理由にならないことをこじつけて言っているようにしか思えません。

のどかに「別問題」と指摘されて、教頭は「そうだな。確かに別問題だった。では私はこれから用事があるので失礼。」と去っていくし、別の日に11で話した校長は「君より学校が嫌な人はたくさんいるんです。君は我慢ができないだけなんです。」と言うし、のどかに「学校に行かなければならない」理由を説明できた人は誰もいませんでした。

それは当たり前のことなのです。

「学校に行きたくないのに行かなければならない」理由なんて存在しないのです。

 

でも、なぜか「学校には行かないといけない。」「学校に行っていないのは悪いことだ。」と思わされているのです。親や祖父母や近所の人や先生や親戚の人や友達や…社会の大多数の人たちによって。

 

学校に行っていないと怠け癖がつく

 →学校に行っていても大人になって怠けている人はたくさんいます。

 

学校に行っていないと勉強ができない

 →学校に行っていても勉強ができない人はたくさんいます。

 

学校に行っていないと社会性が身につかず、社会に出てから上手くひとづきあいできない

 →学校に行っていても社会性はなく、ひとづきあいが上手くいかない人はたくさんいます。

 

学校に行っていないでだらだらしていると健康を損ねる

 →学校に行っていても気付かないうちに無理をしていて健康を損ねる人はたくさんいます。

 

他にもいろいろと「学校に行っていないと〇〇できないぞ。」とか「学校に行ってないと○○になってしまうぞ。」など起こるかどうかわからないことをさも起こるかのように表現して脅してくる言い方をされた方も多いかもしれません。

ご自分は「学校に行っていた」からそれが当たり前だと思って、そのように言われた方もいるかもしれません。

でも、ちょっと考えてみてください。

 

学校に行っていないと怠け癖がつく

 →学校に無理に行ったことで、取り返しがつかない程深く傷ついたり、病気になったりして「怠ける」つもりはなくてもどうしても身体が動かなくて、他の人からみると「怠け」ているように見えてしまうという状況になってしまった。

 

学校に行っていないと勉強ができない

 →学校に無理に行って、無理やり勉強させられて、すっかり「勉強嫌い」になってしまった。小さい頃は何にでも興味をもっていたのに。

 

学校に行っていないと社会性が身につかず、社会に出てから上手くひとづきあいできない

 →学校に無理やり行っていて、いじめを受けたり他の人へのいじめを見たりしてすっかり人間不信に陥ってしまって、ひとづきあいがこわくなってしまった。

 

学校に行っていないでだらだらしていると健康を損ねる

 →学校に無理やり行っていて、身体を壊してしまった。=健康を損ねた。

 

学校に行かなかったらこんなに大変なことになるかもしれないと脅される為に「学校に行かないことは悪い」と常々思わされている人が多いのですが、学校に無理やり行くとこんなに大変なことになるかもしれないのです。

 

脅してくる方々に伝えたいと思います。「あなた方が無責任に学校に行くことを勧めてきたことで取り返しがつかないぐらい傷ついた子どもたちがいるかもしれない。その責任を取れるのですか?」と。

 

学校に行く・行かないということについては、その子どもが本当にどう思っているのかをよく聞いた上で、子どもと相談して決めたらよいことで周りの人間が「良い」「悪い」と決める問題ではないのです。

 

最近の学校のいろんな現状を見ていると、少しでも「行きたくない」という状態になったら、「行かない」方が良いのではと思うぐらいです。

学校へ行かないことによる弊害より行くことによる弊害の方が多いように思えてなりません。

上の例に挙げたのが「学校に行かないと困るよ」とよく言われることかなと思うのですが、特に気になるのは「勉強ができない」ということではないかと思います。

実際、のどかも小1の時に教頭先生に脅された訳です。

私たちが元々「学校に行っている方がみんなと一緒に勉強することでいつの間にか覚えられることが多いかもしれないよ。行かなかったら自分で全部覚えないといけないよ。」と言っていた上で「それでも絶対に行きたくない。」と固く決心していたので、のどかには全く効かなかった訳ですが、事前にそんなことを考えず分厚い学習指導要領を出して来られて「これ全部覚えられるか?」と1年生の時に言われたら…

私が1年生の時なら「学校でがんばって勉強します!」と答えていたのでは…と思います。

 

親や周りの人が「学校に行くもの」と思っていると、どうしても子どもは「学校に行けないことは悪いこと」と思ってしまうのだと思います。そして悩まなくてもいいことで「自分は悪いことをしている。」「自分のせいで親にも迷惑をかけている。」と悩み苦しんでしまうのだと思います。

先程から述べていますが、そもそも「学校に行かなくてもよい」のなら何も悩む必要はないのです。何も自分を責める必要はないのです。

親もまた同じで昔からずっと「学校に行くもの」と思わされてきたから、子どもが「学校に行かない」状態になったら「悪いこと」をしている、そしてそれを許してしまっている自分は「よくないこと」をしていると思って苦しんでしまうのだと思います。

それに追い打ちをかけるように祖父母や周りの人々が「学校に行かないと大変なことになる。」と根拠のない脅しをかけてくるので尚更です。そして親も苦しんでいるのを見て、子どもは更に苦しむということになっているのだと思います。

 

「学校って行かなくてもいいんだ。」と思ってみると、「行かないとよくない」と思っていた理由が見当たらなくなってきて大した問題ではないのだと思うようになると思います。

 

実際、学校に行かなくなって何が変わるかというと毎日家に子どもがいるということになるということです。うちの場合は、当時今よりも辺境の土地で畑の開墾や家の改築などをしていたので、一人働き手が増えたという意味でも全く問題はなかったわけです。

でも普通、現在の家庭ではありえない状況です。

大抵のご家庭ではお父さんもお母さんも仕事に行っていて、平日の昼間子どもが家にいるというのが実際問題困るという場合が多いのではないでしょうか?

私も田舎で花屋を開業する以前は、大阪で会社勤めをしていて、夜遅くまで残業という生活をしていたこともあるので会社に勤めながら平日の昼間まで子どもと一緒にいられないというのは、よくわかります。

 

また、学校へ行かないということでまず学校と何らかの接触をしなければならない。連絡をしなければならない。その対応が煩わしいということはあるだろうと思います。

そして周囲の人への説明。「学校へ行かないと大変なことになる。」という脅しへの対応。

どれも「学校って行かなくてもいいんだ。」と思った上で対処すると、ただただ煩わしいだけで別に「悪いこと」をしているという自責の念にかられることはなくなると思います。

学校への連絡は、煩わしいけど学校へ行っていても生じることも多々あるし、その都度対処するだけ。

周囲への対応も、どうしても必要な場合は説明するけどわざわざ言う必要がなければ言わなければいい。(祖父母など言っても理解できないだろうと推測される場合はあえて言う必要はないのではと思います。)祖父母が隣に住んでいるとか、近所の人が聞いてくるとか、どうしても言う必要があれば「学校に行く方が本人にとって良くないようなので学校には行かないことにしたんです。」ときっぱりと胸を張って説明したらよいと思います。

この、「きっぱりと胸を張って」という点が意外と重要で、少しでも自信なさげに悩んでいる風情を見せると「学校に行かないと大変なことになるよ。誰でも行きたがらない時はあるけど無理にでも行かせといた方がいいよ。休み癖がついたら大変だよ。不登校になるよ!」という脅しが始まります。

くれぐれも「きっぱりと胸を張って」説明しましょう。

もし「きっぱりと胸を張って」まだ言えない…という場合は、できるだけ説明をさける。適当に話をそらすとか「まぁいろいろあるみたいだし、今様子見てるし。ちょっとそっとしといて。」と。それでも言ってくるなら「周りがいろいろ言うとかえってよくないので黙っておいて。」と。

 

何度も先延ばしにするより、一度「きっぱりと胸を張って」言う方が楽だと思うのでできるだけ早くそうされることをお勧めします。

私たちの経験でも「きっぱりと胸を張って」言うと、学校の先生も周りの人も「へー、そうなんですね。」と言うだけで脅してくるようなことはありませんでした。

 

平日の昼間、子どもが家にいるというのも年齢によって対応は様々だと思いますが、私たちのような辺境の地でなければフリースクールや居場所のようなものも最近は増えてきているようですし、子どもが行きたがるところを探していくなど具体的な対応策をいろいろ試してみるとよいと思います。勉強熱心だったら塾だけ行くというのも一つのやり方でしょうし、最近は無料のネット学習サイトもいろいろできているのでそれを使って学習していくこともできます。(以前のブログで紹介していますが、のどかは「eboard」というサイトを楽しんでいました。)

 

子どもは、自分の興味があることなら勝手にどんどん調べたり、学習したりして習得していきます。

学校で嫌々勉強しているより、自分の興味の赴くままに調べて学んでいる方がこれからの時代、自分の得意分野をより伸ばすことができて、大人になってからも役立つことが多くなると思います。

学校で無理やり覚えさせられていることなど、これからAIやロボットがどんどんやっていく時代になって「何の役にも立たなかった」となる可能性も増えてくるのではと思います。

今でも学生時代は、「余計なことを考えず言われる通りやっておけばよい。」と言われ続けていざ社会に出る段階になると就職活動で「自主的な行動が大切。自分で考えて動けないと社会に出て通用しない。」と言われる。これって矛盾していませんか?

最終目標は社会に出ることなので、それならば学校で「言われる通りにやれ」と言われることはやらない方がよいのではということになります。

 

そう意味で「学校に行っていない」子の方がより早く社会に向かっているのだと思います。まず「学校に行っていない」状態を自分でつくり出しているのですから。

子どもを守れるのは、親や周りにいる家族だけです。

子どもが「学校に行くの嫌だ。」と何らかの理由で言いだしたら、子どもの意見を尊重して子どもに選ばせてあげてほしいのです。

1の時に「のどかの意見を尊重した。」という話をすると、たまに「そんな小さい頃に自分の意見をちゃんと持つことってできるのですか?」と言う人がおられますが、子どもはもっと小さい頃から自分の意見をきちんと持っていると思います。

もっと小さい頃は、表現方法がまだあまりわかっていないだけで、どう思っているか詳しく説明できないだけだと思います。小さい頃に「イヤ、イヤ。」だけ言っている場合でも「これが嫌なの?」「ちがう」「これのこと?」「…。」「これ?」と聞いていくと、何が嫌なのかきちんと答えられると思うのです。

「学校に行く」「学校に行かない」というのは、親のことではなく子ども自身のことです。

 

自分のことは自分で決める。その代り、自分が決めたことには自分が責任を持つ。

 

息子のどかの映画「不登校のススメ」にもそういったセリフが出て来るのですが…、まさにこれだと思います。小さいうちから自分のことは自分で決めるように自分で考えるように親も子どもも心がけていけば大人になっても大丈夫。自分で考えて自分でやっていけます。

 

くれぐれも学校の先生や周りの人の声に惑わされて、「この子は精神的に弱いから○○の薬を飲まさないといけない。」などと思いこまされないよう気をつけてください。

「学校に行きたくない。」理由がたとえいじめなど心が傷つくことであったとしても、「そもそも学校って行かなくてもいいんじゃない。」という考えを持っていれば、そんな嫌な思いをする場所にわざわざ行く必要ないよね、もっと心地よい場所を探して自分にとって良い方向へ行くように考えようと親子とも思えるのではないでしょうか。

人生、いろいろなことで傷つくことは多いです。

でも、皆、それぞれ自分で自分の力で何とか傷を癒してまた新たに歩み出しています。

「学校に行きたくない。」「学校生活がどうしても馴染めない。」からと言って、精神的な問題を抱えているというわけではないと思います。薬を服用すると、必ず副作用があります。

小さな頃から薬を飲んでいると、なかなか途中でやめられないし、はじめは薬が効いて?不安な状態などがおさまるかもしれませんが、そのうち副作用が出て来てもっと大変な状態になる可能性もあります。よほどのことがない限りは、薬に頼らないようにしようと思っていた方がよいと思います。

子どもを守れるのは、一緒に暮らしている親だけなのです。