のどかに学ぶ「いったん立ち止まって考えることの大切さ」 -高1の現在ー
のどかの母です。
今日は私のことを書いてみようと思います。
私の学歴・職歴について。そこから見えてきたこと。
小学校4年の時に「進学塾に行ったら」と親に言われて塾のテストを受け通い始めました。
後で聞くと、母の姉が「中学受験させていい学校に入らせないと。」とアドバイスしたそうです。
当時は大阪の吹田市に住んでいたのでそこから十三まで行って宝塚線に乗り換えて豊中の進学塾に通っていました。
塾の友達もできたし友達に会うのが楽しくて苦も無く通っていました。
学校の勉強も真面目にこなし自由勉強という自主学習も必ず提出。さらに塾の宿題もあり勉強の毎日でしたが当時はそれが当たり前なのかと思っていました。
5年・6年となり、塾に行く日数が増え日曜日でも講習や模擬試験がありましたが、いつも友達も一緒なので特に嫌だとも思わず通っていたような気がします。
読書好きだったので宿題をしている振りをしてこっそり本を読んでいて母が部屋に入ってきたら引き出しにさっと隠すぐらいのことはしていましたが、基本的には学校と塾の勉強をどんどんこなしていました。
6年の2月に一つ目の受験校は不合格となりそれから1ヶ月は猛勉強。学校も出席日数は足りていたのでできるだけ欠席し、ひたすら受験勉強をしました。そのおかげかぜったい「落ちた!」と思った志望校に合格。
最後は本当に猛勉強したのと受験の時に初めて学校に行ったのですが、とてもきれいな学校で「こんなところに通えたらいいな。無理やろうけど。」と思ったので合格した時は本当に嬉しかったのを覚えています。
中高一貫の女子高なのでそれからは毎日遊ぶ!遊ぶ!
校則もほとんどなく(中学校はパーマ禁止。高校はカラーリング禁止のみ。)自由な校風。今まで学校と塾の宿題だけこなしていたのが苦痛でなかったはずなのに実はストレスになっていたことに気づいてしまい最低限の勉強しかしないようになっていました。
友達と毎日毎日笑い転げて好きなことをいっぱいしていた毎日。今でも数十年ぶりに会ってもあの頃に戻れる大切な友人ができたのは本当によかったと思っています。
高3になって、推薦でそのまま大学に進むか他の大学に進学するかを選択する時期になりました。
日頃から「せっかく中学受験で入ったのに全然勉強しないようになって授業料も高いし、大学ぐらいは国公立に行くぐらいがんばったら・・・」とささやかれていた影響か、相変わらず勉強していないし特にやりたいことも決まっていないのに「他の大学を受験します。」と言ってしまいました。。。
同級生は裕福な友達が多く受験組は皆、予備校に通っていました。
うちは平均的なサラリーマン家庭で予備校に通う余裕はない、ということで「やる気があれば十分通信教材とか参考書で勉強できるはずだ。」という謎の精神論を押し付けられ・・・
今から思えば中学受験もあれだけ無理やり塾でつめこまれたから合格しただけの私が、中学に行ってから全然勉強しなくなったのに自主的に参考書だけでするはずもなく・・・
春期講習とか夏期講習など限定の講習会だけ受講しましたが、もちろん国公立大学は全滅。
一つだけ受験した私立大学も不合格。
結局他の受験生と一緒に受験した神戸女学院大学のみ合格となり、それなら受験勉強せず推薦でそのまま行ったらよかったのに・・・という結果になりました。
のどかに話すと
「それってお金も時間も無駄やなぁ。そのお金でもっと好きなこととかできることとか探したらよかったのに・・・」
全くその通りです。
でも当時、両親は受験に関してのお金は出してくれるけど好きなことをするための費用はきっと出してくれなかっただろうなと思います。
そしてバイトもしたこともなかったけど、バイトするぐらいなら勉強しろとか言われただろうなと思います。
大学4年になって就職活動を始めました。
特になりたい職業もなかった私の希望は「転勤のない職場で結婚したら多分辞めて必要ならパートとかする。」という適当なものだったのですが、
男女雇用機会均等法というのが少し前にできたので「女性でも働き甲斐のある職場となっています。四年生大学卒業の場合は男性同様転勤もある総合職となります。」という企業ばかり。
「転勤のないところの事務職はないのかな?」と探すと短大卒のみ採用。
どこの説明会に行っても
「あなたたち四年生大学卒業の女性はこれからの時代、総合職として男性と同じように働けます。仕事と遊びのオン・オフをはっきり区別して生き生きと活躍している先輩方がたくさん増えてきています。」
なんて言われて、なんか別に私はそんな働き方を望んでないんですけど・・・という感じでした。
両親のアドバイスも
母は「なるべく楽な仕事で結婚したらやめてパートとかピアノ教室とかするんやったらお母さんが少しぐらい子どもの世話できるし、やっぱり近くに住めたらいいよね。」
と就職のアドバイスではなく、その後のまだ見ぬ人との結婚後の暮らしの理想を語ってくれ、
父は「〇〇総研とかそういうのがこれからいいかもと思う。」とか私にとってはよくわからない自分の感想を語ってくれ・・・
ますます「何これ~?どうしよう?どこに就職しよう?」って感じでした。
今から思うともっと本当に自分が何をしたいのかをそこで考えるべきだったのに、
行けそうなところを探して早く就職活動終わらせたい・・・
という安易な考えしかありませんでした。
私みたいに「転勤はない方がいい」という人は結構いたのですが、コネがある人が多くて何となく就職が決まっていっているようでした。
結局、就職活動はそこそこでまぁいいかというところに内定が決まったので終了。
卒業を迎えました。
私が就職活動をしていた時代は、その後の氷河期に比べるとまだ求人があったのだと思いますが、総合職を希望していない私にとっては
「なんか初めから選択を狭められてる」ように感じました。
贅沢と言えば贅沢なのかもしれませんが。
結局、就職して1年後に退職しその後子どもが好きだったので子どもの英語塾関係の仕事に就きました。結婚して夫の病気を経て夫婦でできる仕事をしようと「花屋」にそれぞれ勤め、現在midori-yaをしているという訳です。
私の場合、結婚して夫が病気→会社退職という事態になって初めて「自営業」という選択が現実的になりました。どうして初めからそういうことを考えなかったんだろう・・・と思うのですが、少なくとも大学卒業時は「四年生卒として求められている企業に就職する」という考えしかなかったのです。
ただ単に私がよく考えてなかったから・・・
その通りなのです。が、日々過ごしている環境の中でしっかりと自分の将来を考えるという意識を持っていないと知らず知らずのうちにその流れの中での選択になっていて、気づいたらその流れに流されているということが多いのではないでしょうか。
流れに流されずいったん立ち止まってみる。
進路を考える。学校選びでも。仕事に関してでも。
とても大切なことだと今更ながらに思います。
「不登校」という状態は、いったん立ち止まっているということで
自分から学校に行かないという選択をした場合も
自分でそう思っていなかったけど、行けなくなったという場合でも
流されず立ち止まって考える機会
と思って一度本当に自分がやりたいことが何なのか、すぐにはわからなくても立ち止まることによって見えてくるものもあるだろうと思います。
学校という流れの中では
部活をどうするか、進学をどうするか、就職はどうするか・・・
毎回、自分で考えて選択しているつもりでも
限られた枠の中での選択だったり、どうしても親や先生の影響が大きかったりということが多いのだと思います。
「不登校」にならなくても何らかの形で「いったん立ち止まってみる」ことをすればよかったなとつくづく思います。
現在、通信制の高校で毎月レポートを出しながらネットの通話で友達と会話を楽しみ、映画の上映会を次々開催していただきながら次の映画も撮りたいと言っているのどかにいろいろと学ばされる日々です。