「のどかくんはどうして学校に来ないの?」…義務教育の義務とは… -小1の3学期

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小学校1年生。最後の登校の日。

 

 

小学校の頃の出来事を思い出しながら書きたいと思います。

小学校1年の4月末、「絶対学校には行かない。」と自分で決めたのどか。

教頭先生や校長先生との話し合いのことは以前のブログをご覧ください。

不登校はルール違反!? 小1の5月 - のどかな学び舎 midori-ya

 

君は本当は学校に来れるんです!? 小1の10月 - のどかな学び舎 midori-ya

 

3学期になったある日、校長先生から

「クラスの保護者の方々から『のどかくんはどうして学校に来ないのですか?病気なんですか?』という声があがっているのですがどのように説明すればよいでしょうか?」と聞かれました。

のどかの父が

「直接お伝えした方がよいと思うので説明する機会を作っていただければ私が説明させていただきます。」と言うと、

校長先生は「いいんですか?それはぜひお願いします。」と喜んでおられました。

 

1学年1クラスしかない小さな学校でクラスメイトも15名ぐらい。

半年前にどこかから引っ越してきた子がいたはずなのに1ヶ月ぐらい来て来なくなって・・・

一体どうなってるんだろう?

と話題になっていたようです。

少し前に知り合いの方から

「のどかくんが学校に行っていないことがこの前話題になっていて、隣の学校の方だったけど『義務教育でも行かせなくてもいいのかな?』って言ってらしたから『義務教育』の説明を私なりにしておいたけど知らない方もいるみたいねー。」

という話を聞いていたこともあり、誤解のないように説明しようと事前に資料を作成しました。

 

資料には以下のようなことを記載しました。

 

義務教育とは:

日本国憲法26

1項 全て国民は、憲法の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

2項 全て国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育はこれを無償とする。

 

義務教育とは子どもの義務ではなく、子どもが「行きたくない」という意思表示をしない以上保護者は通学させる義務を負うというものです。

 

その上でのどかの意志として「現在の公教育をどうしても受けたくない。」と明確に示しているので親として子ども本人の意志を尊重することにしたと説明しました。

保護者の方々は特に異論なく、聞いてくださっていたそうです。

 

が、説明会が始まる前にひと悶着あったのです。

 

のどかの父は学校に到着すると校長先生に

「資料を用意したので人数分、コピーしていただけますか?」とお願いしました。

校長先生は事務の先生に

「コピーしてあげて。」と言われたそうです。

事務の先生は「はい。はい。」と快くコピーしてくださったそうです。

 

しばらく待っていると、教頭先生が出て来て

「お父さん、ちょっとよろしいですか?」と呼ばれ・・・

 

教頭「こちらの資料なんですが・・・説明会の場で配布していただくのは自由なのでもちろん結構なのですが・・・終了後に回収させていただくということでよろしいでしょうか?」と言われたそうです。

のどかの父「どうして回収する必要があるんですか?口頭の説明だけでは誤解があるといけないから資料を作成してきているんです。そのまま持ち帰っていただくようにお願いします。」

教頭「ですが、こういった狭い地域ですし、こういったものが広まってお立場が悪くなるといけませんし、その場で話していただくのはこちらからもお願いしたことなのでもちろん結構なのですが、後々困られることになると学校としても心苦しいですし・・・」

のどかの父「何も困りません。私は自分の意見は堂々と表明したいと思っていますし、回収どころかどんどん広めていただいた方がよいぐらいです。お持ち帰りいただきたいと思います。」

教頭「・・・どうしてもと仰るのでしたら回収は致しませんが・・・」

 

結局、資料を配布しそれに沿って説明し持ち帰っていただきました。

のどか本人の希望として

1か月、通学してみたがどうしても今のやり方の学校には通いたくない。決められた時間に決められたことを決められた通りにやるというのが絶対に嫌だから通いたくない。学校に行かなかったら自分で勉強しなければならなくなったり学校に行っている人より大変なこともあるかもしれないけど、それでも今は学校に行かずに家で両親と一緒に畑をしたり家の改装をしたり仕事をしながら自分でいろいろな本を読んで学習していきたい。」

ということなので私たち両親としては、本人の希望を最優先として出来る限りサポートしながら一緒に過ごしていきたいと思っているというようなお話をしました。

 

クラスのみんなには「のどかは元気で病気とかではないので心配しないで。時々は学校に来ることもあると思うので仲良くしてやってね。」と伝えていただければとお願いしました。

保護者の皆さんは、特に異論もなくお話を聞いてくださっていました。

「のどかくん大好き」といつも言ってくれる男の子がいてそのお子さんのお母さんは「うちの子はのどかくんのことが大好きでのどか君が来てくれたら喜んで楽しみにしているので時々は学校に来て仲良くしてやってください。」と言ってくださいました。

 

教頭先生は最後まで苦虫を嚙み潰したようなお顔をされていました。

 

 

のどかが小学校1年生の時はまだ「不登校」に対して文科省からの明確な記述はなかったのですが、当時も「不登校」に対しての罰則などは当然なく1日も通学していなくても校長判断で卒業認定はされていました。

現在は文部科学省のサイトにも「現行の就学義務履行の督促の仕組み」というページがあります。

「児童・生徒が7日以上出席せず、その他出席状況が良好でない場合で出席させないことに正当な事由がないと認められるとき」とあり、

「正当な事由」の【考えられる例】として①事故や病気によるもの ②不登校 等

と記載されています。

文科省HP

中央教育審議会 初等中等教育分科会(第40回)議事録・配付資料 [資料3−2]−文部科学省

 

 

文科省のサイトにも「不登校」は正当な事由として載っているぐらいだし、「不登校」への理解も以前より随分進んでいるのでは・・・と思っていましたが、まだまだ理解されていないようです。

 

「周囲の理解のなさで追い詰められる。」という切実な悩みを最近、上映しているのどかが監督の映画「不登校のススメ」の上映後のお話会などでよく聞きます。

不登校のススメ」に関してもタイトルだけで「安易に不登校をすすめるのはよくない。」などというご意見をいただくこともあります。

映画を観ていただくとわかっていただけると思うのですが、「安易に不登校をすすめている」わけではありません。

映画のことはまた次回に載せたいと思っていますが、「不登校」の子どもたちや保護者は「安易に」不登校を選んでいるわけではないと思います。

のどかのように「本人の希望」のみで「不登校」を選択したケースはまだまだ少ないようですし、ほとんどの場合は「行こうと思っているのにどうしても朝になると身体の具合が悪くなる。」「無理に通学していて具合が悪くなる。」というケースのようです。

のどかのように「本人の希望」で「不登校」になる場合でも「安易に選んでいる」のではなく、「登校」「不登校」どちらもの良い点・悪い点を考えた上で「自分はどうしたいか決める。」という選択をしたということです。

 

「安易に不登校を勧めるのはよくない。」というご意見に対しては、「安易に登校を勧めるのもよくない。」とお話していきたいと思います。

 

のどかに学ぶ「いったん立ち止まって考えることの大切さ」 -高1の現在ー

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のどかの母です。

今日は私のことを書いてみようと思います。

 

私の学歴・職歴について。そこから見えてきたこと。

小学校4年の時に「進学塾に行ったら」と親に言われて塾のテストを受け通い始めました。

後で聞くと、母の姉が「中学受験させていい学校に入らせないと。」とアドバイスしたそうです。

当時は大阪の吹田市に住んでいたのでそこから十三まで行って宝塚線に乗り換えて豊中の進学塾に通っていました。

塾の友達もできたし友達に会うのが楽しくて苦も無く通っていました。

学校の勉強も真面目にこなし自由勉強という自主学習も必ず提出。さらに塾の宿題もあり勉強の毎日でしたが当時はそれが当たり前なのかと思っていました。

5年・6年となり、塾に行く日数が増え日曜日でも講習や模擬試験がありましたが、いつも友達も一緒なので特に嫌だとも思わず通っていたような気がします。

読書好きだったので宿題をしている振りをしてこっそり本を読んでいて母が部屋に入ってきたら引き出しにさっと隠すぐらいのことはしていましたが、基本的には学校と塾の勉強をどんどんこなしていました。

6年の2月に一つ目の受験校は不合格となりそれから1ヶ月は猛勉強。学校も出席日数は足りていたのでできるだけ欠席し、ひたすら受験勉強をしました。そのおかげかぜったい「落ちた!」と思った志望校に合格。

最後は本当に猛勉強したのと受験の時に初めて学校に行ったのですが、とてもきれいな学校で「こんなところに通えたらいいな。無理やろうけど。」と思ったので合格した時は本当に嬉しかったのを覚えています。

 

中高一貫の女子高なのでそれからは毎日遊ぶ!遊ぶ!

校則もほとんどなく(中学校はパーマ禁止。高校はカラーリング禁止のみ。)自由な校風。今まで学校と塾の宿題だけこなしていたのが苦痛でなかったはずなのに実はストレスになっていたことに気づいてしまい最低限の勉強しかしないようになっていました。

友達と毎日毎日笑い転げて好きなことをいっぱいしていた毎日。今でも数十年ぶりに会ってもあの頃に戻れる大切な友人ができたのは本当によかったと思っています。

 

3になって、推薦でそのまま大学に進むか他の大学に進学するかを選択する時期になりました。

日頃から「せっかく中学受験で入ったのに全然勉強しないようになって授業料も高いし、大学ぐらいは国公立に行くぐらいがんばったら・・・」とささやかれていた影響か、相変わらず勉強していないし特にやりたいことも決まっていないのに「他の大学を受験します。」と言ってしまいました。。。

 

同級生は裕福な友達が多く受験組は皆、予備校に通っていました。

うちは平均的なサラリーマン家庭で予備校に通う余裕はない、ということで「やる気があれば十分通信教材とか参考書で勉強できるはずだ。」という謎の精神論を押し付けられ・・・

今から思えば中学受験もあれだけ無理やり塾でつめこまれたから合格しただけの私が、中学に行ってから全然勉強しなくなったのに自主的に参考書だけでするはずもなく・・・

春期講習とか夏期講習など限定の講習会だけ受講しましたが、もちろん国公立大学は全滅。

一つだけ受験した私立大学も不合格。

結局他の受験生と一緒に受験した神戸女学院大学のみ合格となり、それなら受験勉強せず推薦でそのまま行ったらよかったのに・・・という結果になりました。

 

のどかに話すと

「それってお金も時間も無駄やなぁ。そのお金でもっと好きなこととかできることとか探したらよかったのに・・・」

全くその通りです。

でも当時、両親は受験に関してのお金は出してくれるけど好きなことをするための費用はきっと出してくれなかっただろうなと思います。

そしてバイトもしたこともなかったけど、バイトするぐらいなら勉強しろとか言われただろうなと思います。

 

大学4年になって就職活動を始めました。

特になりたい職業もなかった私の希望は「転勤のない職場で結婚したら多分辞めて必要ならパートとかする。」という適当なものだったのですが、

男女雇用機会均等法というのが少し前にできたので「女性でも働き甲斐のある職場となっています。四年生大学卒業の場合は男性同様転勤もある総合職となります。」という企業ばかり。

「転勤のないところの事務職はないのかな?」と探すと短大卒のみ採用。

どこの説明会に行っても

「あなたたち四年生大学卒業の女性はこれからの時代、総合職として男性と同じように働けます。仕事と遊びのオン・オフをはっきり区別して生き生きと活躍している先輩方がたくさん増えてきています。」

なんて言われて、なんか別に私はそんな働き方を望んでないんですけど・・・という感じでした。

 

両親のアドバイス

母は「なるべく楽な仕事で結婚したらやめてパートとかピアノ教室とかするんやったらお母さんが少しぐらい子どもの世話できるし、やっぱり近くに住めたらいいよね。」

と就職のアドバイスではなく、その後のまだ見ぬ人との結婚後の暮らしの理想を語ってくれ、

父は「〇〇総研とかそういうのがこれからいいかもと思う。」とか私にとってはよくわからない自分の感想を語ってくれ・・・

ますます「何これ~?どうしよう?どこに就職しよう?」って感じでした。

 

今から思うともっと本当に自分が何をしたいのかをそこで考えるべきだったのに、

行けそうなところを探して早く就職活動終わらせたい・・・

という安易な考えしかありませんでした。

 

私みたいに「転勤はない方がいい」という人は結構いたのですが、コネがある人が多くて何となく就職が決まっていっているようでした。

結局、就職活動はそこそこでまぁいいかというところに内定が決まったので終了。

卒業を迎えました。

私が就職活動をしていた時代は、その後の氷河期に比べるとまだ求人があったのだと思いますが、総合職を希望していない私にとっては

「なんか初めから選択を狭められてる」ように感じました。

贅沢と言えば贅沢なのかもしれませんが。

 

結局、就職して1年後に退職しその後子どもが好きだったので子どもの英語塾関係の仕事に就きました。結婚して夫の病気を経て夫婦でできる仕事をしようと「花屋」にそれぞれ勤め、現在midori-yaをしているという訳です。

 

私の場合、結婚して夫が病気→会社退職という事態になって初めて「自営業」という選択が現実的になりました。どうして初めからそういうことを考えなかったんだろう・・・と思うのですが、少なくとも大学卒業時は「四年生卒として求められている企業に就職する」という考えしかなかったのです。

 

ただ単に私がよく考えてなかったから・・・

その通りなのです。が、日々過ごしている環境の中でしっかりと自分の将来を考えるという意識を持っていないと知らず知らずのうちにその流れの中での選択になっていて、気づいたらその流れに流されているということが多いのではないでしょうか。

 

流れに流されずいったん立ち止まってみる。

進路を考える。学校選びでも。仕事に関してでも。

とても大切なことだと今更ながらに思います。

 

不登校」という状態は、いったん立ち止まっているということで

自分から学校に行かないという選択をした場合も

自分でそう思っていなかったけど、行けなくなったという場合でも

流されず立ち止まって考える機会

と思って一度本当に自分がやりたいことが何なのか、すぐにはわからなくても立ち止まることによって見えてくるものもあるだろうと思います。

 

学校という流れの中では

部活をどうするか、進学をどうするか、就職はどうするか・・・

毎回、自分で考えて選択しているつもりでも

限られた枠の中での選択だったり、どうしても親や先生の影響が大きかったりということが多いのだと思います。

 

不登校」にならなくても何らかの形で「いったん立ち止まってみる」ことをすればよかったなとつくづく思います。

現在、通信制の高校で毎月レポートを出しながらネットの通話で友達と会話を楽しみ、映画の上映会を次々開催していただきながら次の映画も撮りたいと言っているのどかにいろいろと学ばされる日々です。

中学校の卒業式 -中3の3月ー

 

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すでに4か月も過ぎてしまいましたが、のどかが中学校を卒業しました。

23学期から「そろそろ学校行くのやめるわ。」と言って学校に行っていなかったのですが、担任の先生はプリントを持って家まで尋ねてくださっていました。

3年になってからも2年の時と同じ先生でよくのどかのことをわかってくださっていたのでありがたかったです。

2年生の時からN高校というネットの通信制の高校に行くと希望を伝えていたので受験もなく特に指導する必要もないというお互いに気楽な関係になれたのかもしれません。

いつも「映画の制作がんばってる?」と聞いてくださっていました。

 

中学校では先生の方も「絶対学校に来ないと駄目です。」という対応ではなかったので毎回毎回「今度の〇〇の授業は来れますか?」などと聞かれることはなかったのですが、学校にとっての(きっと)一大イベントである「卒業式」はそういうわけにはいきませんでした。

2学期の終わりに三者懇談があり

「できれば学校に来てもらえると助かるけど、久しぶりやし嫌かなあ?」と担任の先生。

「はぁ。別に嫌じゃないので懇談だけ行くのはいいですけど。」とのどか。

久しぶりに学校に行くと「3学期は卒業式に向けての練習とかが多くなるので先生としては練習から出てもらって卒業式をのどかくんも含めてみんなで迎えられたら最高やなと思っています。」と仰ってました。

 

のどかは「卒業式?普段全然行っていないのに卒業式だけ行くっていうのはありえない。」という感覚で気楽に「無理です。」と断ったらいいと思っていたようです。

先生にとっては卒業式は一番大切なイベントで「普段来れてない生徒でも卒業式だけは出席してみんなで卒業できればいいな。」と思っていたようです。

3学期に入るとすぐ「卒業式考えといてな。せっかくやし出てほしいし。練習も。どうしても無理やったら午後から校長室での個別卒業式があるからそっちに出てもらうことになる。」と。

 

それでも直前にどっちも断ればいいだろうと考えていたのどか。
いよいよ3月に入り、みんなの受験も終わり明日から卒業式の練習ばかりの毎日が始まるという日に

やはり担任の先生は訪ねて来られました。

 

担任「明日から卒業式の練習始まるからできたら初めから参加してもらえると嬉しいねんけどなー。」

のどか「いや。練習というか卒業式は出ないという選択はないんですか?」

担任「いや。それはやっぱり卒業式は絶対出てもらわないと。卒業式やし。」

のどか「そうなんですか。」

担任「また考えといて。明日は無理やったら途中からでもいいし。」

のどか「わかりました。また僕から先生に電話します。」

 

それから数日。

のどかもいろいろと忙しく過ごしていて不在の時に先生からお電話が。

「明日本人から電話させます。」

担任の先生は「練習に出てなくても当日だけ出てもらってもいいので。」と。

次の日、のどかから先生に電話していました。

のどか「卒業式なんですが、出ません。」

担任「そうか・・・残念やけど。じゃぁ午後から校長室の方に出てもらうことになるから。」

のどか「校長室の方も出たくないんですが。」

担任「え?いや。それはどっちか出てもらわないと困るな。」

のどか「そういう決まりがあるんですか?」

担任「決まり?いや。そりゃ、卒業式やからな。出てもらわないと。先生としても最後はやっぱり出てほしいし。」

のどか「それは先生の希望ですよね。それはわかるんですが、ぼくの希望は聞いてもらえないんでしょうか?」

担任「いや。それはやっぱり卒業式やし・・・」

のどか「先生の希望もよくわかりますし、ぼくの希望としては卒業式に出たくないので。どうしても出ないと卒業できないとかそういう規則があるのでしょうか?」

担任「いや。そういう規則とかは・・・ちょっと待ってくれるかな。先生一人で返事できることじゃないので。校長先生とか相談してまた返事するから。」

ということになりました。

 

私たちとしては、1年生の時の「ニオイ問題」のこともあり担任の先生と校長先生は当時と変わってはいるものの学年主任は同じ人物ですし、「他の生徒と同様に何事もなかったかのように卒業式に出席しろとはどういうつもりなんですか?」と最後にどなりこみにいきたくなるぐらいの気持ちもあったのですが、のどかが望まないことを勝手にするわけにもいかず見守るのみでした。

 

のどかは自分で「卒業式に出ないといけない決まりが現在あるのか?」

ネットで検索したようで「卒業式には出席しなくてもいい。」が、

「卒業証書を校長から直接卒業する生徒に手渡さなければならない。」という決まりが一応あるみたい、と言っていました。

父は「もらいにいくの嫌やったら文句の一つも言いがてら代わりにもらってくるよ。」と最後に一言言いにいきたいのもあって言っていましたが、

のどかは「直接もらわんとあかんみたいやし取りに行くわ。でも卒業式には出ないって言うわ。」と。

 

担任の先生にもその旨、自分で説明し、結局

・卒業式には出席しない。

3月中に卒業証書を校長先生がいる時に学校に取りに行く。

ということになりました。

 

小学校の時からの友達に

「久しぶりに会いたいし、卒業式来て~!」と言われてちょっと悩んだみたいです。

が、普段学校に行っていないのに行事の時だけ行くということに違和感があったようです。

 

学校に行っていると「当然、やること。」と決められていることが多いような気がします。

 

どうしてやる必要があるのか?

やりたくないことで必要ないことならやらなくてもよいのではないのか?

 

と自分の気持ちに添って行動することは今の時代、ますます必要になってくるのではないかと思います。学校でも会社でも地域でも。

 

みんなやってるから当然やってください。

ということがどんどん増えてくるように思います。

「本当に必要なんですか?」と聞いてみると意外と必要ないことだったり、一言がきっかけでやらなくてよいようになるかもしれません。

 

不登校で学校と関わることすら苦痛な場合、卒業式に参加してねと言われても最後の最後までそこまで痛めつけられる?ということになる場合もあるかもしれません。

学校の先生方は学校が良い場所だと思われて頑張ってお仕事されているので、学校に行きたくない生徒にとって学校と関わることだけで苦痛になるということがどうしても理解できない場合が多いのではないでしょうか?

 

卒業証書を一人でもらいに行ったのどかは父が他の用事を済ませて学校に戻ってきてもまだ先生方と話していたようです。

「なんであんな時間かかってたん?もらうだけじゃなかったん?」

と聞くと、校長室ではもらうだけですぐ終わってんけどその後、職員室から先生が何人か出て来て「のどかくん!写真撮ろう~!」と次々、先生方と写真を撮ってお話していたそうです。

 

現在、のどかはN高校の通信制に在籍。年間で5日間だけスクーリングで通学。その他は家でネットで授業動画を見ては毎月レポートを出しています。

すごく楽しいようで毎日楽しんでいます。

 

N高校の日々はまたこの次の機会に・・・

「ニオイ問題はつづく・・・」 中学校卒業 現在

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ニオイ問題について経緯を書き連ねてきました。

書いてみると中12月から3月までのたった2か月間の出来事なのですが、毎日毎日「対応」を学校から迫られた煩わしい日々でした。

何度も書いていますが、あまりにも理解できない出来事というのは状況を把握するまでに時間を要します。いろいろな人に現状を聞いたり、一般的なこととしてご意見をお聞きしたり。

 

「ニオイ問題」の最中にも、終わってからも、2年たった今でもこの問題についていろんな方にご意見をお聞きしました。このブログを見て「ブログ読んだよ~。」と話しかけてくださる方もたくさんいます。皆さん、学校側の対応が「おかしいよね。」という方ばかりなのですが、それぞれのお話を少し紹介させていただきます。

 

「ニオイ問題」が中学1年の学期末とともに収束した直後の春休み。

小学校6年の時の担任の先生とお話する機会があり、のどかの父親が小学校の時も同じように薪ストーブで暮らしていたので「小学校の時はそういう問題はなかったでしょうか。」と聞いてみました。

「一度だけそう言えば寒くなった頃に女子の数人が『先生、のどかくん不思議なにおいがするで』と言っていたことがありましたが、『ふーん。そうなん。』と言うとそれからは全くそんな話は聞いたことないですね。」と。

 

のどかもその後、先生と二人でお話しし、自分なりに説明したそうです。

のどかが「友達に聞いたら皆大したことではないと言われた。」と言うと、中1の時の担任が「誰に聞いたんや。」と聞いてきて・・・

「俺の言うことが信じられないんか?」と言われたと言うと、

6の時の担任の先生は「信じられませんって言ったらよかったのに。」と。

そして話を全部聞いてくれた後に「気にしなくていいと思うよ。」と言われたそうです。

 

レッスンに来られている方たちにも「ストーブのニオイ気になりますか?」と聞いてみたこともありました。midori-yaに来られている方々は「全然気になりません。むしろ木の香りがしていいといつも思ってます。」と。のどかの学校での話をしてみると、

「それって先生によるイジメじゃないの?」

「指導してるつもりがのどかくんへのイジメになってるとしか思えませんよ。私たちも自分の子どもがクサイとか言われたら腹が立ちます。もっと学校とか教育委員会に抗議されたらいいんじゃないかな?」と。

 

2年生になってからたまたまランチのお客様がのどかの友達のお母さんでした。

1年の時から別のクラスだけどよく話していた友達でした。「ニオイ問題」の時も「そんなん言う方が悪い。気にせんでいい。」と言ってくれた友達です。

お母さんにその話をすると、

「そんなことがあったのですか。それは先生からのイジメとしか思えませんね。学校にすぐ抗議したらいいと思いますよ。」と言っておられました。

 

お店に来られた小さなお子様連れのお母さん。

「ブログを読んだんですけど安曇川町内なのでこの子もいずれ安曇川中学に行くことになるし、うちも薪ストーブで暮らしているのでそんな風に学校で言われるのかと思うと心配になって・・・」と。

まだ幼稚園にも行っておられないお子さんです。

「担任の先生もすでに移動になってるし学年主任はいるけどその頃には先生方も変わってるし、もっと薪ストーブへの理解も出て来ると思いますよ。」とお話しましたが、その後思い出したことがありました。

 

以前、鹿ケ瀬でmidori-yaをやっていた頃、自然食品コーナーの棚の前でいろいろ見てくださってたお客様お二人が話していた会話。

「このマザータッチという洗剤は界面活性剤とか使ってないしもちろん香料も使ってないしいいのよね。最近香料が苦手で殊更ローズの香りとかついてるのが嫌だし健康にも環境にもこういう洗剤の方がおすすめやと思うよ。」

「私もそう思うんだけどうちの息子が中学で部活やってると毎日汗臭いし毎日洗濯してるんだけど、こういう自然の洗剤って独特のニオイがするのか香料入ってないからあんまりニオイがとれてないのか「臭い」って言われるから。息子が可哀想やし、今は普通の洗剤使ってるんよ。」

へー。中学校でそんなこと言われるんや。

と当時のどかはまだ3歳ぐらいだったのでただただ驚きでした。

でもそんなこと言う子がいるからってそちらの言い分を正当なものとしてるのってどうなのかな・・・先生とかは何も言わないのかな・・・と思ったことを思い出しました。

「このあたりの学校なんですか?」とお聞きすると

安曇川中学なんです。」

その時住んでいたのは高島町だったのとまさか10年後に自分たちの身に「ニオイ問題」が降りかかってくるとは思ってもいなかったのですっかり忘れていました。

まさかそういう伝統が中学校にあるというわけではないと思いますが・・・

 

そのことを思い出したのもあってやはり「ニオイ問題は続いていく」のだなと改めて実感しました。

うちの場合は「ニオイ」でしたし、

マザータッチを今は買えないと仰ったお客さんの場合も「ニオイ」でしたが、他と違うもので慣れてないものであればどんなことでも「ニオイ」に変わり得る「問題」だと思うのです。

 

少しでも人と違っていることに対して排他的になる。

10年前より現在の方がさらにエスカレートしているのかもしれません。日本中で。

 

ブログを読んで声をかけてくださる方は

「学校側の認識や対応に驚きました。」という方ばかりです。

でも学校側に話をしても全く理解を得られなかったのです。

 

「ニオイ問題」を経験した私たちとしては、

これからもおかしいと思うことには声をあげていこう。

おかしいと思うことを言われても屈しないようにしよう。

と思っています。

先日お会いした小さなお子さんがおられる同じ学区の方(先述とは別の方)からも

「中学校に行ってそういう対応されるかと思うと不安。」という声を聞きました。

何かもし不安なことが起こったら一度midori-yaに来てください。

私たちでお話聞けることがあればお聞きします。私たちの経験で役に立つことがあればと思います。

 

もちろんそんなことが起こらないことが一番なのですが・・・

ニオイ問題 その6-中1の3月ー

 

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323日、中学校の学校長宛に「ニオイ問題」の「意見書」を提出してから滋賀県教育委員会に向かい、県の教育委員会の方お二人と面談し、同じ内容の「意見書」を提出しました。

※「意見書」

ニオイ問題「意見書」 2017年3月23日ー中1の3月ー - のどかな学び舎 midori-ya

 

家に帰ると早速、校長から連絡が。

自宅に謝りに来られました。

「二人の教師の行き過ぎた指導で大変ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。」と頭を下げられました。

頭を下げていただきたくて「意見書」を出したわけではないのですが、今後のこともあるのでいろいろとお話してみました。

 

まず最大の疑問として

「どうして子どもたち同志で話合う時間を持っていただけないのですか?」と聞くと、

 

校長「お父さんお母さんがおられた頃とは違いまして・・・。

昨今の教育現場は大変緊迫しており学校内で生徒同士が話し合う時間などほとんどないのです。とても話し合いの時間などとることはできないのです。」

 

「そんなに忙しいんですか???」

 

校長「はい。学習指導要領が変わってから授業時間数も増えましたし、放課後は部活動で忙しく生徒同士で話をする時間もほとんどない状態なのです。」

 

「学活など生徒同士で話合う時間が昔はあったと思うのですがそんな時間はないんですか?」

 

校長「ありません。とてもそんなことはできません。学活と言っても行事の話し合いなどをしなければならないので別の話題で話し合う時間はないのです。」

 

呆れ果てて言葉も出ませんでした。

何のために学校に行っているのでしょうか?

気の合う人も合わない人もいろいろな友達と交流し、いろいろな人がいることをそれぞれが感じ、それぞれに折り合いつけるような経験をするのが学校というところの役割の一つではないのでしょうか?「話し合う」という人間社会の中での重要な事より優先させるべきものとは何なのでしょうか?

 

その後も

校長「二人とも行き過ぎたところはありますが、とても熱心な教師ですのでどうかご理解ください。」と言われ、

 

「熱心だからと言って間違った方向の指導は困ります。」と言うと、

 

校長「それは申し訳なかったのですが、特に担任のOのどかくんのためを思って指導していたことは理解してやってください。」と。

 

いくらお話しても「ニオイ問題」の指導は行き過ぎたものではあったが、根本的に間違ったものだという認識がないようでした。

 

そして最後の最後に

「来年度、担任も私も移動になるかもしれませんが、これだけはお願いしておきたいのですが、」

もし何か問題が起きた場合、必ずまず初めに担任に話をしていただきたい。決して生徒同士では話をしないでください。

 

全く何もわかっていない。伝わらない。ということがよくわかりました。

私たちは一貫して「話し合いをしたい。」「話し合う場を持ってほしい。」とお願いしてきました。

学校側は一貫して「話し合いの場を持つことはできない。」と全く聞く耳を持つことはありませんでした。

学校側の主張は

「のどかくんの「ニオイ」が臭くてクラスみんなや担任・学年主任も迷惑している。ただちに改善してください。」ということでした。

私たちが調べた結果

のどかのことを「臭い」と言っているクラスメイトは存在しませんでした。

にもかかわらず学校側は指導そのものは全くの誤りであるという姿勢は一度も見せず、熱心に指導した結果行き過ぎたものとなってしまったと述べるのみだったのです。

 

あれから2年過ぎ、当時の担任はその年の4月より他校へ転任となり、当時の校長は現在高島市の教育長をされています。

学年主任のみそのままですが、あれ以来一度も当家へ連絡してくることはありません。

 

1年生の時の担任は最後の最後の日にのどかに

「役に立てなくて悪かったな。」

とのどか曰く「謎の」言葉をかけてきたそうです。

本気でのどかの「ニオイ」を変えさせることがのどかの為になると信じていたのかと更に恐ろしい気持ちになりました。

 

熱心な間違った指導ほど恐ろしいものはありません。

学校という閉ざされた空間の中で圧倒的に力関係の違いのある教師と生徒という立場においてこんな指導を熱心にされたら生徒の方はたまったものではありません。

そしてそれに抗議しようとしても担任を指導する立場の学年主任までも指導どころかその間違った指導をあおっている状況で抗議することすら許されず一方的に「お前が悪い。」と決めつけられるのです。

そしてすべての教師を指導するべき校長も事を荒立てないようにとこちらに頭を下げるだけで肝心の教師に対する指導は一切なかったのです。

どう考えてもおかしなことが起こっているのに学校という閉ざされた空間の中では最後まで是正されることはなく、教師は全く反省することなく終わってしまったのです。

もちろん滋賀県教育委員会に提出した文書は担任にも学年主任にも校長にも見てもらったはずですが、恐らく「せっかく子どもがいじめられないよう早めに配慮してあげてるのに理解のない親だ。」ぐらいの認識しか持っていないだろうということは明白です。

 

これがのどかが中学校1年生の3学期に起こった「ニオイ問題」の顛末です。

この問題の最中も終わってからも私たちにって「あまりにも納得のいかない出来事」だったので、いろんな方にご意見をお聞きしたりしました。それはまたこの続きへ。

 

このブログを読んでいただいている皆さんからもぜひご意見やご質問などあればお聞かせください。

コメントなどしにくければ直接メールください。

midoriyahanaya☆gmail.comまで。(☆を@に変えてください。)

 

ニオイ問題 その5-中1の3月ー

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3/23に滋賀県教育委員会に意見書を提出するために私たちが文書作成に勤しんでいた3/22。

 

尚更のように担任からのどかに

「何か今は対策はとっているか。」と。
のどか「友だちに話を聞いたところ皆大したことではないと言われた。」
担任「親しい奴はそりゃ悪く言わないだろう・・・でも陰で迷惑している人がいないとは限らないし。」

あれだけ聞き取り調査をした結果、それほどまでに迷惑をかけているのであれば少しはそのようなことを聞いたとかいう答えが返ってくるのではないでしょうか?

二人の先生以外には誰一人としてのどかの「ニオイ」が問題だという発言はなかったのにこの期に及んで何を言うのかとあきれました。

 

さらに担任は「一体誰がそう言ったのか?」

と証言者の名前までわざわざ聞き出したそうです。

当人たちを威圧するつもりなのでしょうか?とても不健全な精神構造を感じます。

一方で「被害者」が誰なのかは一切私たちには言わないで・・・

 

 
「みんな僕のことをクサイって思って陰で憎んでるんだ。」

「僕が気づかないだけだってこと?」

「先生がクサイって言うんだもん・・・」

「そんなに嫌われてるんだったらもう学校なんか行けない・・・」

そんな風に思い込んでしまって誰にも相談できないまま不登校になったり、果ては自殺したり・・・そんなことが起こっても何も不思議ではない事態だったと思います。

前にも書きましたが、たまたまのどかが私たちにも日ごろからいろいろなことを話してくれる子で現実的に物事を解決しようと努力してくれたからのどか自身も先生たちの言葉には傷つくことなくいてくれただけです。

「結局、特に迷惑をかけていたわけではなかったみたい。」と先生方に怒るよりみんなに迷惑かけてなかったことに安堵している様子に「そんな風に気にしていたのか。」と胸が詰まりました。

 

3/23、県の教育委員会に出向きこちらで用意した「意見書」を提出しました。

「意見書」は長いので別ブログに全文公開します。

よろしければご覧ください。

 

midori-yakame.hatenablog.com

 

対応された教育委員会のお二人は言葉を失っておられました。

「これはあまりにひどい行き過ぎた指導というか・・・」

「何もかもご両親の仰る通りだと思います。」

 

こちらから一番気になっていた「ファブリーズ」のことを質問してみました。

「いろいろな理由でニオイがする生徒に対してファブリーズを教師が用意しふりかけるという指導を推奨されているのですが?」

 

県教委「そういう指導は絶対にありえません。衛星に関しての指導というか対策としてネグレクトなどが原因でお風呂に入れていない生徒が、生徒本人が希望する場合に保健室などで髪を洗うなどということがごくまれにあるぐらいでファブリーズを用意してふりかけるなどありえません。」

「これは今すぐ県の教育委員会の方から学校長に指導させていただきます。よろしいでしょうか?」とその場で言われました。

 

滋賀県教育委員会に意見書を提出に行く前にもちろんのどかと相談しました。

 

今回の事はあまりにもひどいので今後のためにも文書で残しておいた方がいいこと。

筋として校長に伝えるべきであること。

ただ校長だけに伝えても何も変わりはないと予測できるので更に上の管轄に伝えた方がいいこと。

といっても高島市教育委員会と学校とは目の前という立地ということもあり、客観的に意見を求めたいため滋賀県教育委員会に提出すること。

 

を確認していました。

滋賀県教育委員会に伺う直前にまず中学校に寄り、校長先生宛に文書を提出しました。

 

のどかとも相談した結果、まずは校長先生の対応を見てからこちらの対応を考えようということになりました。

そのため県の教育委員会の方々は「今すぐ指導します。」と言われたのですが、「校長先生の対応を待ってからにします。」とお伝えしました。

 

そして校長先生は・・・

 

すぐに電話がかかってきて「お詫びに伺います。」と。

校長先生お一人で来られ「申し訳なかった。二人の教師の指導に行き過ぎた点があったとお詫びします。」とのことでした。

一応校長先生が謝りに来られたのとすでに3月の終業式の前日ぐらいのタイミングでのどかに意向を確認したところ「別に先生たちを指導してもらうとかそんなことを今更希望してない。」と言うのであえて県の教育委員会の方からの指導は止めてもらいました。

ただし、今後またこのような事が起こる可能性も大いにあるので「記録として残す」ことを希望しました。

 

というわけで実際の対応はこんな感じで終わったのですが、謝りに来られた校長先生も3学期最後にのどかと話した担任の先生も全くこちらの意向・この問題の本質と思われることを理解されてないことがはっきりわかりました。

そのお話はこの次に続きます・・・

 

 

ニオイ問題「意見書」 2017年3月23日ー中1の3月ー

滋賀県教育委員会と中学校の学校長宛に提出した「ニオイ問題の意見書」です。

経緯と我が家の対応など書いてあります。

長文ですが読んでいただければよくわかっていただけるかと思います。ぜひご覧ください。

 

高島市

安曇川中学校 学校長殿

                    意見書

                               2017年3月23日

                          1年1組 山田 和 保護者

                                山田  祐司

                                山田 佳奈子

 

 今般、本年に入ってから当家の長男、山田和の身辺に生じた「におい」に関する一件について私共は、貴校の担当教員二人(担任O氏、学年主任S氏)の指導及び対処方法に大きな疑問と困惑を感じましたので、本書を以て事案の経過の認識と共に私共の主張・要望を是非とも学校長にご認識頂き、その上で今後の校運営・生徒指導に取り組んでいただきたくここに本書を呈するものであります。

―記―

一、事実の経過

  

当家においては薪ストーブを冬期に唯一の暖房器具として使用しており、花の教室や予約制レストラン営業の際にも運転してきたが、友人はもとよりレッスンの生徒さんやご来客からも(こちらから念のため印象を伺っても)「ストーブ臭がくさい」「ケムリくさい」などのお声は一切なかった。

 

 たきつけの際や風向等、又薪の質などにより多少室内のケムリの状況に変化はあったが、上述のように営業上の支障すらなかったので従来どおり薪ストーブを今年に入っても使用していた。

 

(2017年1~2月頃)

 

・・・長男山田和(以下和と称す)よりの話。

 

「居残り学習」の折、担任より「何かちょっと不思議なにおいがするけど心あたりある?」と聞かれた。

 

和が「家の薪ストーブのにおいかな?よく判らないけど・・・」と返答すると、

 

担任から「服をなるべくストーブから離して干したら・・・」と言われたとのこと。

 

本人としては大して気にもかけなかったので家で私共二人に話すのも忘れていた。

 

この間(1~2月)クラスの誰からも「におい」のことを言われたことはなかったし、又、友人同志がそのようなことを話しているのを耳にしたこともなかった。

 

(同年3月1日)

 

・・・和談。

 

個別教育相談の時間に担任より「俺も悪いにおいだとはおもわないけど確かにかぎなれないにおいだな・・・実際、お前が原因とはみんな思ってないとは思うけど、くさいって換気してる人もいるし・・・」

 

「もしみんな和だってわかったら、いろいろ言われてお前が嫌な思いするのは俺も嫌やし・・・」

 

「出来るんやったら服をストーブから離すとかできたらいいなと思うし・・・」と言われた。

 

(同年3月2日)

以上

・・・和談。

 

当日は教室のストーブがついていないのにクラスの誰かが窓を開けた。他の誰かが「寒い」と言ったが、「でもくさいし・・・」という人もいた。

 

その日の昼休み担任から別の教室に呼ばれて、以下のように言われた。

 

「ストーブから離して干すのは無理としても・・・じゃあ仕方ないっていうわけには行かないから、何とかしんと。」

 

「家に薪ストーブがあるのも悪いことじゃないし、又一方そのにおいを嫌だと思うのも悪いことじゃない。両方悪いことじゃないからうまくあわせていかんと・・・。」

 

和は帰宅後、当日の一件を私共に報告。私共から「友達と話し合ってみたら。」とすすめた。

 

和は「そうしてみる。」と次の日に臨んだ。

 

(同年3月3日)

 

1時限目終了後、担任から廊下に呼ばれ以下のように告げられる。

 

「みんなに和のことを自分から説明して理解してもらえたらそれが一番とは思うけど・・・」

 

「でも今はみんな『何やこのニオイ?』となっている中で和のことをみんなに言ったら『じゃあ、和が悪いやん。』ってなって、和が嫌な思いしてしまう・・・。」

 

「説明するにしても何か解決法っていうか、こういうことを努力してやってるっていうことが何かないと言えない。」

 

「うちはこういう事情の家(つまり薪ストーブのある家)やから判ってって言ったら『なんでやねん!和が悪いくせに!』ってなったらあかんし・・・。」

 

授業始まり中断。

 

先述の説示の直後と思われる時間帯に自宅へ担任より電話があり、母へ

 

「少し前からにおいのことで和君と話をしている。本日も“クラスの1年の振り返り”の時間を営んでいる時、教室の整理整頓の話題となり、その際、生徒の一人から『何となく変なにおいがするのは道具BOX等の整理が出来てないからとちがうかなぁ』

という声も出ました。クラスの皆が和君のにおいだと決めつけている訳ではないです。」

 

「でも和君と判っていてガマンしている子もいると思う。服の干し方とか工夫してもらえませんか。」等の内容の架電であった。

 

・・・この架電で母佳奈子より

 

「当家は薪ストーブで暮らしている。冬場はストーブの熱で洗濯物を乾かしている。いろいろなタイプの暮らし方があることを他の友達にも知ってもらった上で話し合いすることを和本人も望んでいるのでお願いしたい。」旨、伝えた。

 

しかし、担任からは「話をするのなら和君からではなく、自分からします。」という返答だった。

 

和は同日昼休み、別の教室へ担任に呼ばれ「今日、家へ電話してお母さんと話したが、洗濯物を別の方法で乾かすのは難しいと言っていた・・・」「とりあえずファブリーズを買っておくので、次の朝登校時にまず職員室へ寄ってふりかけてみるように。」と告げられる。

 

当日帰宅後、「ファブリーズ」の件を和が話す。母佳奈子より「ファブリーズ」は色々な意味で好ましくないのでやめるように話す。まずは、生徒同志の話し合いが必要なのに何故それを行わないのか?といぶかしく思いつつもどうしても必要性のある場合には当店で以前から販売している天然素材のオーガニックフレグランススプレーを使うよう母から伝えた。

 

(3月6日) 和が登校すると担任が「ファブリーズ」をたずさえて待ち構えていた。そしてテスターっぽく、キンチャク袋風のものにふりかけ、和へ使用をすすめた。

 

和は「ん・・・ちょっと(嫌だ)。うちでもあんまりそういうのはやめた方が・・・と言ってるし。」と言うと、担任からは「おうちの人も嫌ってるんか・・・?」と不可解そうな返答。結局、和へのふりかけは行われなかった。

 

(3月7日) 先述オーガニックスプレーを本人が自分の意志でかけて登校。

 

和は休み時間に担任から「今日は何かをやってきたのか?」と聞かれたので「うちの天然スプレーをしてきた。又、昨日はストーブの煙もあまりなかった。」旨、返答する。「そうか。」との担任の答。

 

(3月8日) 体育の授業後、担任より「今日もやってきたんか?」と聞かれたので「今日もふりかけてきた。でも昨日は、少々ストーブの煙は出ていたかも。」という旨、答えると担任は「んー。昨日よりはにおうなぁ。」との返答だった。

 

(3月9日) 学校では特に教員より和へにおいの件についての話はなかった。

 

夕刻6時頃、当家へ担任より「今からにおいの件で話し度、学年主任と二人で伺いたい。」旨の申し出が電話であった。

 

6時30分頃、担任と学年主任の二人が来訪。和本人も交え5人で対談となる。

 

主任より「今回の件は、是非今すぐ何とか対処しない訳には行かない・・・ファブリーズとかはどうしても駄目なものか?」という旨の申し出あり。

 

他のクラスメートにガマンしがたい迷惑をかけているのなら当然なんとか対処しなければならないとは思うが・・・

 

①においだけでなく話し声・色々なクセなど人間には各々の個性というものがあり、基本的にお互いを認め合い理解し合うのが基本であると信ずる旨。

 

②自分自身のことについてはとかく気付かないのが人の常なので、それをかえりみず他人のことばかりを言うのも考えもの。

 

ある程度はお互い様という理解のし合いも大切ではないかという旨。

 

③本人の体臭などだけでなくにおいはその生徒の家の諸事情(家業・・・肉屋・ペンキ屋をしているなど。家族の事情・・・ヘビースモーカーの父がいる。ペットを室内で飼っているなど。生活習慣・・・キムチを常食している・薪ストーブを使っている・芳香剤やデオドラントを多用するなど。)によっても様々に生じるものであり、当家のにおいもそのうちの1つと思われる。

 

④そのにおいがお互いの「共存」の程度を超えているのかどうか、私共三人ではどうしても実感できない(実際、今回の担任・主任から以外は一度も他のクラスメートや教員より和のにおいが不快である旨の声は聞いたことがなかったので)ので、まずは

 生徒同志でフランクに話し合い苦情があるなら苦情を真摯に本人が受け止め、その上で対処を相談するのがよいのではないか? 

保護者としても信ずる。

 

旨、①~④担任と学年主任(以下「2人」と略称する。)に伝えていたところ、当方父の言葉をさえぎるように主任が開口し、

 

「いろんなにおいの話はわかりましたが、もう私たち2人がこうして今、ここまでやって来ているだけで限度を超えた問題になっているということなんです。だからこそ来てるんでしょう。」との発言。

 

特定の人物名まで出さぬとも「クラスの女子のうち5人が」とか「〇〇あたりから来ている3人を中心に苦情が・・・云々」と言った具体的な指摘もなくとにかくクラスの大きな障害になっている旨の論調だったので、私共から「一体どれ位の友だちから どんな苦情・不満が具体的に出ているのか・・・。実感できない、又よく理解できないまま、対策・対策と言われても。」という旨、訴え又、和も「僕からみんなに話して、もし迷惑かけているならどんな風に迷惑なのか聞いて話し合いしたいし、迷惑かけてはいけないのはわかっていますし。云々。」という旨、発言すると、

 

・・・主任から「そんなことはおまえが言うことではないぞ。」「そういう相談とかは今できると思うか?もしするとしてもそれはおまえではなく担任がするものだ。」という発言がなされた。

 

あたかも「担任や学年主任までは二人して出向いてきているのに、親子揃ってこの期におよんでまだクラス全体に重大な迷惑をかけていることが判らぬか。」と言いたげな語調を感じました。

 

次いで、担任から「寒くても窓を開けたりとかいう状況にもなっているし・・・」と言った旨の発言があったので、当方より「クラスの友だちにさっき申しましたようにお互い様ないし個性の共存と言った程度を超えて重大な支障をきたしているということですか?」「又、それが授業を受講すること自体に重大な障害となっていると判断されているわけですか?」「又、それがほんの一部のメンバーでなくクラスのまぁ何%とまでは特定しなくても『大半』というべき割合の級友がかような学校生活進行上の障害を受けているとおっしゃりたいのですか?」等と問い質したところ、いずれも「全くその通り。」という旨の返答でした。

 

又、担任からは今後のことにふれ「このままだと来年度和君と一緒のクラスになるのはイヤやということになっていく。そんなことになると本人のためにも困ると思うので、今のうちに緊急に手を打ってほしい。」と和のニオイが来年度のクラス編成上の支障にすらないかねない旨の発言がなされた。

 

主任は更に「話し合ってわかってもらうと言っても、今これ以上、ガマンして下さいとか言っても果たして相手に理解してもらえるものか。とても疑問で云々。」と述べ、「これ以上?」対話・交渉・共調の可能性はない旨主張した。

 

何回か生徒同志で話し合ったが上手く行かなかった上でのセリフなら判りますが、私共としてはなんとも納得がいきませんでした。

 

当夜の訪問での「2人」の表現として「これはあくまでご両親へのお願いである。」「どんな暮らし方をされるかは全く自由である。」と言った字句がありましたが、実際のところ、

 

ⅰ)具体的にどのような人物が何人位、どのような程度・形のクレームをしているのかという提示はないまま「クラス全体が迷惑を被っているという抽象的被害存在。

 

ⅱ)教室に変なにおいが近頃するとしてもその原因が和1人であると特定する根拠としては、「和がいるとくさいと感じる。」(2人)「校舎の廊下を歩いてきただけでくさい。」(主任)「和がいる時は理科室がくさくなっている。」(主任)といった教師「2人」の自分たちの感じるくささという点しか提示されていないこと。

 

ⅲ)何故、生徒間の対話を和本人も誠意を以て行いたい旨(場合によっては謝罪も含め)、切望しているのにそれを禁ずるのか、不可解であること。

 

ⅳ)「この家に入らなくとも家に近づいただけでニオイがしました。」(主任)と吐露していることからも察せられるように、又、「ファブリーズ」をとても好適なツールとして用いようとしていることなどと併せて考えるに「2人」は化学物質等のフレグランスには好意的・親和的である反面、薪ストーブの木香や木酢のような自然的フレグランスには大変不慣れで「くさく」感じる感性の持ち主であり、それ故に様々な個性の1つとしての「香り」の平等的共存を前提とした対処・指導を閑却し、「迷惑なニオイ」としての薪ストーブ臭を駆逐し、「正しいあるべきニオイ」としてのケミカル系フレグランスで教室を統一しようという方向に走っているのではないかという疑念。

 

・・・等により、私共は「2人」のこの夜の申出『なんとか今すぐ手を打って和君がニオわないようにして欲しい。』にはにわかに承服し難い思いでした。

 

そこで、「他人に迷惑をかけてでも個性を出せばいいなどとは思いませんのでもし、本当に迷惑なのであれば、当方としても多角的に打つ手はありますので検討させて頂きます。」と一般論的な観点から返答しました。

 

それを受けて「2人」は謝辞を残して帰途につかれました。

 

その後、私共家族3人で話し合いました。和は「どうしても本当にみんなどう思ってるのか直接聞いて、納得して話し合いたい。その上で、謝るなら謝りたいし、直すなら直したいし。」と強い決意の調子で述べました。私共2人も賛成でした。

 

とても鎮痛で重苦しい夜でした。いつもは多食な息子も夕食はほとんど摂れませんでした。

 

「まずは話しやすそうな男子の友だちからでいいから聞いてみろ。」と父はアドバイスしました。

 

(その後和は、友人等へ聴き取りを行いました。)

 

―教室がくさい原因は和だから何とか対処して防止してくれないと困ると担任や主任から言われているが、本当に自分はくさいと思うか正直に言って欲しい。又そう言う声やウワサを聞いたことがあるか教えてほしい旨、伝えて聞いていったようです。-

 

3月10日 男子A君(同じクラス)

 

「別に。そりゃニオイってするって言えばするんかも知れんけど、どーってことないし。男子でそんなこと言ってる奴1人もいいひんし。まぁ女子の中にはよう知らんけど、もしそんなん言う奴おっても『ウザイ』って言っとけば済む程度のことやし。」

 

3月16日 男子B君(同じクラス)

 

「うーん。いや、まぁ別に大丈夫ちがう。別に気にせんでいいと思うで。」

 

3月21日 男子C君(同じクラス)

 

「うーん。別に全然しいひん。もしするにしてもそんな気にするもんでもないし。」

 

美術部顧問

 

「波があるって言えばあるのかもとは思うけど・・・(和の体臭が。)美術部員からはそういう苦情は一切ないわ。それにニオイとか顔とかそういう付属的なものはその人を人間としてすばらしいなと認めていけば、どんどん薄れていくもの。だから和君も人間としての良さをどんどん高めていけば、つまりがんばって他人の面倒を見るとか親切にするとか・・・そういうことをすれば、そういうニオイとかっていうのは自然と忘れられるものだと思う。」

 

美術部:女子Aさん(同じクラス)「ようわからん。」

 

D君(別クラス)「1組からそういうウワサは全然聞いたことないな。それにそんなこともし言うてるんやったら、そんなクラスはクソや。」

 

3月22日 母佳奈子が女子Bさん(同じクラス)のお母さんにより伺う。

 

「うちの娘は女子の中で和君がクサイとか困るとか言ってるのを聞いたことはない。」

 

「たしかに冬場、教室にニオイがするなとは思ったけど・・・自然派っぽいニオイかなとも思ったけど・・・むしろとても苦しくて困るのはそれよりも夏場とかの女子のバンとか8&4とかのフレグランス。あれは本当に息苦しい。」とのこと。

 

・・・いずれも今般の「ニオイ問題」を緊急切迫したクラス全体の問題として認識している旨の発言はなく、あまつさえその原因が唯一、和一個人であるという主張は全く見当たりませんでした。又、かようなうわさめいたものを聞いたという声すら1件 

もありませんでした。

 

却って男友だちから寄せられたのは、かような「ニオイが云々。」といったことをしつこく問題にするのは女々しいこと(女性差別的表現でよろしくないとは思いますが)である、気にしなくていい、と言った声でした。

 

 美術部の顧問のご指導もお立場上、言葉を選んだ上で何が大切かを示し、勇気づけて下さったものだと感じました。

 

そして私共二人は強く感じました。「今までのあの「2人」の主張は一体何だったのか?」と。このギャップは一体何を意味するのか?と。

 

 生徒からは一向にクレームなど聞かないのに担任から日に日にクラスの支障だ、迷惑だと言われ、その挙句「ファブリーズ」をふって教室に入れと迫られ、オーガニックスプレーまでつけたりと努力もしたのに、その上遂には夜に2人の教師がやって来て、もう猶予はない・何とかしてもらわないと困る・みんな迷惑している・判ってくれなどと言い出すのもおこがましい・・・同じクラスになるのも嫌がられる・・・「お前」が話せるようなことではない云々。

 

―たまたま和が勇気を持っていてくれて、私共もきちんと納得できることでないと賛同しないタイプの親であり、親子の対話も十分な家庭だったので、和は次の日の第一歩を自分で歩み、自分で扉を開けられたのです。―

 

 「みんな僕のことをクサイって思って陰で憎んでるんだ。」「僕が気づかないだけだってこと?」「先生がクサイって言うんだもん・・・」「そんなに嫌われてるんだったらもう学校なんか行けない・・・」

 

 3月10日から不登校になっても何ら不思議ではない状況ではありませんか?「迷惑している人たち」(それが誰なのか一体何人なのかどんな不満なのか全く私共は判らないままです。)の立場を重視しろとおっしゃるのも結構でをすが、これだけの重圧

を平気でかけられた和の心はどうなのでしょうか?私共の心境は?どうお考えでしょうか?もし、お2人の教員の方々に同様に「先生職員室でニオうっていう他の先生方の声が・・・」とか言い続けられた上に、ある夜突如、校長と教育長がおいでになり「もうなんとかしてもらわないと・・・。判ってもらいたい?話したい?何言ってるんですか、クサイんですから、クサイんです。君は。こうして2人揃って来てるんだから文句あるんですか?云々。」と迫られたらお2人はどう感じられるのでしょうか?「一体何事?」「要するにこの学校にはもういるなっていうことか?」とか感じませんか?

 

相手は中学生1人。自殺していても不思議ではありません。(事実私はとても注意深く3/9以降、毎日和に目を配っています。)

 

あまりに教師として鈍感すぎませんか?あきれ果てています。そしてこのようなケースでもし本人が自殺したような場合、その死後に友人・クラスメートから先述のような声を聞いた時、親は一体どんな心境になるのでしょう?考えたことがありますか?

 

「教師に殺された。」この一言ですよ。

 

 もし、今回私共がこのような訴えを貴校へ起こさず、この一件は「2人」の指導により解決して上々だったなどという理解になっていくなら、今後同種の事態が生じたときに同じ手法のアプローチがなされ、先述のような大変な悲劇を招くかもしれないと思うと空恐ろしい気持ちで一杯です。これは必ず策をとるべき問題と思料し本書の訴となった次第であります。

 

二 当方の論旨

 

  今般の問題を通じ私共で是非とも訴えたい点を論述いたします。

 

①「個性の共存」・・・こそ社会の基本。学校はその第一章ではないのか?異なる者同士の存在はきれいごとではありません。

 

ある個性は他の個性にとっては苦痛であることは当然あり得ることです。お互いそうなのです。当然、ある程度ガマンをし合わないことには成り立ちません。それは苦痛をともないます。苦痛し合うことです。これが価値観の共存を前提とした自由主義社 

会の根幹です。「お互い個性を大切に人を傷つけないで。」などというきれいごとの人権学習だけではどうにもならないことです。 

ある程度「嫌がられ合うこと」が当たり前なのです。 

これを理解せず「友だちから嫌がられるようなことになったらお前の為にならないから、直せ。直せ。」などというのは、本人への思いやりに名を借りた統一的価値観の強要に傾く危険性を大いにはらんでいます。「1人残らず全員に嫌われないようにしないと!皆に好かれるようにしよう!」などというスローガンは素晴らしいようにみえて実は大変危険なものということを教育者は判って指導に臨むべきだと思います。ニオイ・食べ物・声のトーン・顔つき・ハダの色・・・そんなことでどうしても好きになれない人のことは好きになれなくても今は仕方ない。それでいいのではないでしょうか・・・自分のある個性の故に何人かの人から嫌われても・・・。

 

 でも本当に大事なもの人間的な相互理解の気持ち、そうしてそんな嫌いさ、異いをいつかはお互いうめていこう、乗り越えていこう・・・そんな考え方さえ忘れなければ良いのでしょう。そんなことを教えるのが学校教育の場であると確信しています。

 

(「みんなから好かれないといけないのでまず香水で十分に体臭を消してから入るのよ。」新人ホステスさんにママさんがアドバイスしているのなら結構でしょうが。中学校はキャバレーの訓練所ではありません。)

 

 そしてもし、この個性の共存が尊重されるべきだと理解されるならば、ある個性をクラス内でその生徒本人の希望に反してでも制約すべき場合とは、

 

1.他のクラスメートに対し、その個性(この場合はにおい)が課業受講を中核とする学校生活の適正な進行に重大な支障をきたす程度の侵害となっていること。

 

2.その侵害を被っている他の生徒が当該学級の大半を占めること。

 

3.その侵害による支障を防止するために発生者の「個性(ニオイ)」を消滅させる措置を講じないと回復不可能な苦痛を上記、  多数の者が切迫して受けており、その程度が結果として当該発生者へのぬぐいがたい不信感・遺恨を生じる恐れが大きいこと。

 

の3要件を満たす場合であると思料されます。

 

 今回のケースの場合、先述の諸事実(とりわけ聞き取り結果)に照らすと、この要件を充足しているとは到底是認されないと思われます。

 

・・・3/22、尚更のように担任から和に「何か今は対策はとっているか。」と迫り、さらに「友人に話を聞いたところ皆大したことではない旨、話していた。」と和が答えたところ「親しい奴はそりゃ悪く言わないだろう・・・でも陰で迷惑している人がいないとは限らないし云々。」という旨、反論を担任からなされたということですが、あれだけの友人等があれだけの答をくれているだけで既に本件は先述の3要件を充足しているとは言い難いケースであることは明白です。

 

 (3月9日の折、この要件が個性制限の許容されるべき場合の状況として当方が提示したところ、担任も認め、さらにその上で本件はこの3要件を満たしているという確答でしたが・・・)更に担任は「一体誰がそう言ったのか?」と証言者の名前までわざわざ聞き出したそうです。当人たちを威圧するつもりなのでしょうか?とても不健全な精神構造を感じます。一方で「被害者」が誰なのかは一切私たちには言わないで・・・

 

②当事者の対話が問題解決のための最優先の手法であること。①に述べた如く、異なる「個性の共存する社会」(クラスも又然り)においては、お互いに対話して調整し合うことは不可欠でそれをせずに何か自分にとって不快な分子が他に存したらすぐに管理者やボスに訴える・・・こんな姿勢が良いはずはありません。教師はもしそんな訴えが来たら、「とにかくまずあいつと話をしてみろよ。それでまとまらんかったり、うまく行かんかったらもう一回おいで。」と言うべきではないでしょうか?生徒指導の基本中の基本です。

 

 もちろんその相手が当該生徒にとって話もできない程、「粗暴そうな奴」とかならば別でしょうが、果たして和はそんな風に見えたのでしょうか?とてもそうは思えません。そして今日に至るまで誰からもニオイのことで訴や相談や話し合いを求められ

たこともないのです。

 

 「生徒同士を話させてもめたら大変。そこに親もからんできたらもっと大変。だったら始めからこっちでとにかく芽をつんで文句が出ないようにして・・・」「予防的に教師が動いておく方が安全・・・」

 

果たしてそうなのでしょうか?ある程度、生徒同士の話し合いに委ねても上手く行きそうにない時にタイムリーに教師が介入する、アシストするのは当然必要でしょうが。

 

 今般の一件のようにむしろ和本人が対話を切望しているのにそれを完全にシャットアウトし、(先述「お前から言うようなことではないぞ。」)一方的に和に「ニオイのもと」と絶てと迫る。理不尽としか言いようがありません。私共も本当に相手様のことが判ればそれに応じた誠意を尽くさねばならぬことは承知しておりますが、全くそれがないのではいかんともしがたいのが本音であります。生徒同士の対話・協調ということをさせずにその上で「モト」をたって解決したように思っても、表面上、問題事象(物理的現象としてのくささ)が消え「クレーム」なるものが出なくなったとしても対話を通じて見られるはずの双方の理解も共感もなく、「悪かった。」「判ってもらえてよかった。」と心から双方が「もめごと」を通じて却って分かり合うということができない訳です。全くもって「産湯流して赤子も流す。」の愚行です。

 

③指導者(教師)たるもの常に「自分の感性は偏っているのではないか?」と自戒しつつ生徒指導に当たるべきである。

 

三、要望

 

①今回の一件も踏まえ、今後はクラス内の生徒間に諸問題が生じた場合はまず第一に生徒同士・当事者間の対話により歩み寄り、理解し合い、問題を解決することが不可欠な基本であることを認識し、対話がスムーズにすすむならば生徒間での解決に委ねることを旨とした指導を行うようにすること。

 

②①の手法が不調に帰したり却ってトラブルを生む気配がある場合、教師がタイムリーに介入するのは基本的に良好なことであるがこの場合も介入にはなるべく謙抑的であるよう心掛け、指導に臨むこと。(リーダー格の生徒の仲介を促すのも良いと思われる。)

 

③個人の属性の制約を要求するのは先述二、論旨①中で論じた3要件を満たした場合に限るのを原則とするよう心掛け、措置に当たること。

 

④生徒に対し、状態的に「お前―」と呼ぶのは避けること。当家では親子間でも決して「お前」と呼ぶようなことはありません。

 

(3月9日の訪問の際の学年主任の発話「お前が・・・云々。」を耳にしているのは大変不快でありました。)

 

 ちなみに本庄小学校では男女問わず児童を「○○さん」と呼称しておられました。当たり前のことです。実践してください。

 

 今後、本意見書を交え、ご指導賜ると共に交代である場合は次期校長・担任等へも必ず本件の申し送りをして頂くよう要望いたします。尚、本書は校長のもとにとどめるのではなく、必ず「2人」の教員にも読んで頂きたいというのが和本人の希望なのでよろしくお願いいたします。

 

四. おわりに

 

 約1か月に亘って和は、「中学校」より学校内にいるだけで「くさく」「重大な迷惑だ」と言われつづけて校生活してきました。

 

クラスの「誰が」一体そういう声を上げているのかも全く知らされず、又それを「知るな」と要求されつつ。そのことをまず重大に受け止めて頂きたい。昨日も担任が和本人が友人たちに「僕クサイかなぁ?誰かクサイって言ってる?」と素直に聞いたこ 

とをとがめだて「オレの言ってることが信用できひんっていうことか?」と怒ったそうです。全くの勘違いの暴言とあきれました。友人の意見を聞きたい、対話したい、当たり前のことです。もし「迷惑」なら本当にどのように「迷惑」なのが実感したい。 

当然の誠意の現れです。教師の言ったことを信用した上で行っても何ら当たり前の行為ではありませんか?

 

 先述のような学友たちの素直な声が上がってくることが実はそれ程にも彼ら「2人」にとっては「不都合な真実」なのでしょうか?

 

 この訴は誰よりも和にとってそして、私たち一家にとって名誉をかけた闘いなのです。

 

「くさい奴」「くさい家」と2人の教師から言い続けられること(他の方々からは一言もかような声は伺ってはおりません。)自体では少しも傷ついてなどおりません。

 

 行政の肝いりで地域アピールの大行事として高島全域で2~3月にかけて催された「風と土の交藝展」でも薪ストーブのある暮らしが前面に押し出され、高島の魅力の一つとしての自然な暖房がアピールされています。理科室にでもこの際、一基、薪ストーブを置いてお勉強されてはいかがですか?と申し上げたいです。又、もしご指導通り「ファブリーズ」をふりかけた暁に今度は別の生徒から「和くん、トイレ芳香剤みたいで臭い!」って言われたら今度は「じゃあ、シャルダンエースだ!」ですか?あきれて物も言えません。

 

 他人に個性の共存(いろいろな個性を認め合って暮らしていく。)という範囲を超えて集団全体に重大な迷惑をかけながら、とるべき措置もとらず、迷惑を垂れ流しつづける一家。そういった評価とそれを基本にした要求的対応(ファブリーズをかけてニオイを消せ等)が私たちの名誉を著しく損なっているということなのです。この点を重々、誤解なきようお願いしたいものです。

 

今後、又、次の冬のシーズン、もし和のことを「異臭がして困る」「なんとかして欲しい」と訴えるクラスメイトが万一出たら、その時はすぐ和に告げてその生徒たちと対話させ、誠意ある対応を彼らにとるよう指導し、双方の協調・理解を実現するよう指導下さるよう重ねて切望いたします。

 

 具体的な被害の特定と明示、そして、その原因が唯一和本人であるという合理的な判断根拠の提示もなく、クラスの「公害」のようにこの冬、扱われつづけてきた山田和本人と私共の精神的苦痛は回復不可能な甚大なものであります。

 

 「お前がクサイ」でも「友だちには言うな。聞くな。」・・・。正に罪悪感と孤立の強要の日々でした。和にとって。

 

 事実、不登校の可能性も大きいものでした。私共2人は本人を「きっと友だちは判ってくれるはず」とはげましつづけました。

 

そして今、春がようやく高島にもやって来ました。

 

 今後のクラスが対話を協調の芽生える明るいものであることを願わずにはおれません。

 

 

 

2017年3月23日 2016年度1年1組 山田 和 保護者