ニオイ問題 その4-中1の3月ー

 

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「のどかくんの「ニオイ」を何とかしてもらえないか。」と担任と学年主任がうちの家にやって来て帰った後・・・

私たち家族3人で話し合いました。

のどか「どうしても本当にみんなどう思ってるのか直接聞いて、納得して話し合いたい。その上で、謝るなら謝りたいし、直すなら直したいし。」
私たち2人も賛成しました。


「まずは話しやすそうな男子の友だちからでいいから聞いてみろ。」と父はアドバイスしました。


その後のどかは、友達へ聴き取りを行いました。

―教室がくさい原因はのどかだから何とか対処して防止してくれないと困ると担任や主任から言われているが、本当に自分はくさいと思うか正直に言って欲しい。又そう言う声やウワサを聞いたことがあるか教えてほしいと伝えて聞いていったようです。-


3月10日 男子A君(同じクラス)

「別に。そりゃニオイってするって言えばするんかも知れんけど、どーってことないし。男子でそんなこと言ってる奴1人もいいひんし。まぁ女子の中にはよう知らんけど、もしそんなん言う奴おっても『ウザイ』って言っとけば済む程度のことやし。」


3月16日 男子B君(同じクラス)

「うーん。いや、まぁ別に大丈夫ちがう。別に気にせんでいいと思うで。」


3月21日 男子C君(同じクラス)

「うーん。別に全然しいひん。もしするにしてもそんな気にするもんでもないし。」


美術部:顧問の先生(のどかは1・2年の時、美術部でした。)

「波があるって言えばあるのかもとは思うけど・・・(のどかの体臭が。)美術部員からはそういう苦情は一切ないわ。それにニオイとか顔とかそういう付属的なものはその人を人間としてすばらしいなと認めていけば、どんどん薄れていくもの。

だからのどか君も人間としての良さをどんどん高めていけば、つまりがんばって他人の面倒を見るとか親切にするとか・・・そういうことをすれば、そういうニオイとかっていうのは自然と忘れられるものだと思う。」


美術部:女子Aさん(同じクラス)「ようわからん。」


D君(別クラス)「1組からそういうウワサは全然聞いたことないな。それにそんなこともし言うてるんやったら、そんなクラスはクソや。」


3月22日 私(母)が女子Bさん(同じクラス)のお母さんにうかがってみました。

「うちの娘は女子の中でのどか君がクサイとか困るとか言ってるのを聞いたことはない。」

「たしかに冬場、教室にニオイがするなとは思ったけど・・・自然派っぽいニオイかなとも思ったけど・・・むしろとても苦しくて困るのはそれよりも夏場とかの女子のバンとか8&4とかのフレグランス。あれは本当に息苦しい。」とのことでした。


・・・いずれも二人の先生が言うような「ニオイ問題」を緊急切迫したクラス全体の問題として認識しているような発言はなく、
のどかの「ニオイ」のせいで困っている人がいるという事実は全くありませんでした。
またそんなうわさめいたものを聞いたという声すら1件もありませんでした。

かえって男友だちから寄せられたのは、そんな「ニオイが云々。」といったことをしつこく問題にする必要はない、全く気にしなくていい、と言った声でした。

 
美術部の顧問の先生の指導も言葉を選んだ上で何が大切かを示し、勇気づけて下さったものだと感じました。


そして私たち二人は強く感じました。
「今までのあの「2人」の主張は一体何だったのか?」と。
このギャップは一体何を意味するのか?と。

 
生徒からは一向にクレームなど聞かないのに担任から日に日にクラスの支障だ、迷惑だと言われ、
その挙句「ファブリーズ」をふって教室に入れと迫られ、オーガニックスプレーまでつけたりと努力もしたのに、
その上遂には夜に2人の教師がやって来て、
もう猶予はない・何とかしてもらわないと困る・みんな迷惑している・判ってくれなどと言い出すのもおこがましい・・・

同じクラスになるのも嫌がられる・・・「お前」が話せるようなことではない云々。


―たまたまのどかが勇気を持っていてくれて、私たちもきちんと納得できることでないと賛同しないタイプの親であり、親子の対話も十分な家庭だったので、のどかは次の日の第一歩を自分で歩み、自分で扉を開けられたのです。―

 

のどかはたまたま先生方の言うことを鵜呑みにせずみんなに聞いてみようという勇気を持てたから、良かったのです。

もし、先生、しかも担任だけでなく学年主任まで言うことだから「僕はくさくてみんなに迷惑をかけているんだ。」と悩んでしまう子だったらどうなっていたのか。
これだけ毎日、重圧をかけられたらどんな気持ちになるかどうして想像できないのか?
何よりどうして最後まで「みんなと話し合う。」という一番大切なことを避けるのか。

 

私たちはあまりのことに対応を考えました。

滋賀県教育委員会の方に訴えることにしました。

もし、今回私たちがこのような訴えを起こさず、この一件は「2人」の指導により解決して上々だったなどという理解になっていくなら、
今後同じような事が生じたときに同じような指導が再度なされ、大変な悲劇を招くかもしれないと空恐ろしい気持ちで一杯になったからです。


のどかがされたような重圧を他の生徒さんが受け、その生徒さんが重圧に押しつぶされてしまったらと思うと・・・
誰にも相談できず最悪の場合、「自殺」してしまうことだって考えられると思いました。

これは必ず策をとるべき問題だと思い、県の教育委員会に連絡を取りました。
3月23日に二人の県教委の方とお話することになりました。

そのころは冬の間、お休みしていた花屋の再オープンや「コーヒーと食にまつわるお話会」開催などで多忙を極めており、3月23日に提出する意見書(校長宛に作成し、県教委にも提出しました。)を作成するのが大変でした。

 

長くなりますがその5につづく・・・ 

ニオイ問題 その3-中1の3月ー

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クラスの誰がどれぐらい具体的に迷惑に思っているのか全く知らされないまま

学年主任に

「自宅に担任と学年主任である私がやって来て対応をお願いしている時点で限度を超えた問題になっているということです。」と言われ、心底当惑していた私たちでした。

 

のどかが「僕からみんなに話して、もし迷惑かけているならどんな風に迷惑なのか聞いて話し合いしたいし、迷惑かけてはいけないのはわかっていますし。」と言うと、
またもやのどかの言葉をさえぎるように・・・

主任「そんなことおまえが言うことではない。」「そういう相談とか今できると思うか?もしするとしてもそれはおまえではなく担任がするもんや。」


あたかも「担任や学年主任まで二人して出向いてきているのに、親子揃ってこの期におよんでまだクラス全体に重大な迷惑をかけていることが判らぬか。」と言いたげな語調を感じました。


私はのどかがみんなに迷惑をかけてたら悪いと思っている気持ちがよくわかったので、主任のあまりの言い方に怒りを覚えました。
今でも思い出すと腹が立つぐらいです。
のどかは二人の先生の言うことを実感できないままも受け止めて、「本当にクラスのみんなの迷惑になっているのなら何とかしないと。」と真剣に考えて発言したのです。
ただ、小さい頃から薪ストーブで暮らしているので「冬場は洗濯物を薪ストーブのある部屋で干すのが当たり前。
その暮らし方を変える必要はないからみんなと話し合ってできるだけの改善策をとろう。」と真剣に悩んでいたのです。
それなのに「おまえが言えることではない。」とは。
あまりにも一方的で高圧的な姿勢ではないでしょうか?
学校というのはいろいろな環境で育っていろいろな暮らしをしている人たちがやって来て、そこでいろいろな人と知り合うことで話し合っていくことでいろいろな価値観を知って、
そこから社会に出ていく場所なのではないのでしょうか?
なぜそんなに「話し合う」場を拒むのでしょうか?

クラスの中で(多分薪ストーブのニオイが原因と思われる)不思議なニオイが時々するのどかが一人いる。
そのニオイに馴れない人が多数いる。
としても・・・そこでそのニオイを何とかしてやめろと言ってくるのはおかしくないでしょうか?
ましてそのニオイが嫌だと言っている人が多数いるのかどうかもこちらにはわからない状態で一方的にのどかに怒鳴りつけてくる。
クラスの中で一方的に「のどかくんのニオイ嫌やから何とかして。」と言ってくる子がいたら「みんなでどうしたらいいか話し合おう。」というのが先生なのではないでしょうか?
クラスの誰からも具体的に言われたわけでもないのに、
なぜ先生が話し合おうともせず、一方的に「どうにかしろ。」と主張を押し付けてくるのでしょうか?


次いで、

担任から「寒くても窓を開けたりとかいう状況にもなっているし・・・」と言う発言があったので、

私たちは「クラスの友だちにさっき申しましたようにお互い様ないし個性の共存と言った程度を超えて重大な支障をきたしているということですか?」

「又、それが授業を受講すること自体に重大な障害となっていると判断されているわけですか?」

「又、それがほんの一部のメンバーでなくクラスのまぁ何%とまでは特定しなくても『大半』というべき割合の級友が学級生活を送る上での障害を受けているとおっしゃりたいのですか?」

等とお聞きしたところ、

いずれも「全くその通り。」という旨の返答でした。

 

又、担任からは今後のことにふれ

「このままだと来年度のどか君と一緒のクラスになるのはイヤやということになっていく。そんなことになると本人のためにも困ると思うので、今のうちに緊急に手を打ってほしい。」

とのどかのニオイが来年度のクラス編成上の支障にすらなりかねないという発言がなされました。

主任はさらに「話し合ってわかってもらうと言っても、今これ以上、ガマンして下さいとか言っても果たして相手に理解してもらえるものか。とても疑問で云々。」

と述べ、「これ以上?」対話・交渉・共調の可能性はない旨主張しました。

 

何回か生徒同志で話し合ったが上手く行かなかった上でのセリフなら判りますが、私たちとしてはなんとも納得がいきませんでした。

当夜の訪問での「2人」の表現として

「これはあくまでご両親へのお願いである。」

「どんな暮らし方をされるかは全く自由である。」

と言った字句がありましたが、実際のところ、

①具体的にどのような人物が何人位、どのような程度・形のクレームをしているのかという提示はないまま「クラス全体が迷惑を被っているという抽象的被害存在。

 

②教室に変なにおいが近頃するとしてもその原因が和1人であると特定する根拠として「のどかがいるとくさいと感じる。」(2人)

「校舎の廊下を歩いてきただけでくさい。」(主任)

「のどかがいる時は理科室がくさくなっている。」(主任)

といった教師「2人」の自分たちの感じるくささという点しか提示されていないこと。

 

③何故、生徒間の対話をのどか本人も誠意を以て行いたい旨(場合によっては謝罪も含め)、切望しているのにそれを禁ずるのか不可解であること。

 

④「この家に入らなくとも家に近づいただけでニオイがしました。」(主任)

と吐露していることからも察せられるように、また「ファブリーズ」をとても好適なツールとして用いようとしていることなどから「2人」は化学物質等のフレグランスには好意的・親和的である反面、薪ストーブの木香や木酢のような自然的フレグランスには大変不慣れで「くさく」感じる感性の持ち主であり、そのため様々な個性の1つとしての「香り」の平等的共存を前提とした対処・指導を閑却し、「迷惑なニオイ」としての薪ストーブ臭を駆逐し、「正しいあるべきニオイ」としてのケミカル系フレグランスで教室を統一しようという方向に走っているのではないかという疑念。

 

・・・等により、私たちは「2人」のこの夜の申出『なんとか今すぐ手を打ってのどか君がニオわないようにして欲しい。』にはにわかに承服し難い思いでした。

そこで、

「他人に迷惑をかけてでも個性を出せばいいなどとは思いませんのでもし、本当に迷惑なのであれば、当方としても多角的に打つ手はありますので検討させて頂きます。」と一般論的な観点から返答しました。

それを受けて「2人」は謝辞を残して帰途につかれました。

 

その4につづく・・・

ニオイ問題 その2ー中1の3月ー

 

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「ファブリーズを買っておくので明日の朝、まず職員室に寄ってファブリーズをかけてみるように。」と担任に告げられたのどかは家に帰ってきて私に話してきました。
父に言うと「怒って怒鳴り込むかも?」と心配したのどかは「今すぐは言わんといて。もう少し先生と話して様子見てからのどかから言う。」と。
私は「ファブリーズ」は色々な意味で好ましくないので使わないようにと話しました。
のどかもそう思うと。
まずは、生徒同志の話し合いが必要なのに何故それを行わないのか?と思いながら
「どうしても必要のある場合にはうちの店で販売している天然素材のオーガニックフレグランススプレーを使ったらいいよ。」と伝えました。

 

3月6日。のどかが登校すると担任が「ファブリーズ」をたずさえて待ち構えていたそうです。そしてテスターっぽく、キンチャク袋風のものにふりかけ、のどかへ使用をすすめました。

のどか「ん・・・ちょっと(嫌だ)。うちでもあんまりそういうのはやめた方が・・・と言ってるし。」と言うと、
担任「おうちの人も嫌ってるんか・・・?」と不可解そうな返答。
結局、その日はファブリーズはかけられなかったそうです。

3月7日。あまりにも言われるのとファブリーズをかけられてはたまらないので、のどかはオーガニックスプレーを自分の意志でかけて登校しました。

休み時間に
担任「今日は何かをやってきたのか?」
のどか「うちの天然スプレーをしてきました。又、昨日はストーブの煙もあまりなかった。」
担任「そうか。」


3月8日。体育の授業後、
担任「今日もやってきたんか?」
のどか「今日もふりかけてきました。でも昨日は、少しストーブの煙は出ていたかも。」
担任「んー。昨日よりはにおうなぁ。」


3月9日。学校では特にのどかへにおいの件についての話はなかったそうなのですが・・・

夕刻6時頃、担任から「今からにおいの件で話したいので学年主任と二人で伺いたい。」と電話がありました。

6時30分頃、担任と学年主任の二人が来訪。
のどか本人も交え5人で話をしました。

主任「今回の件は、是非今すぐ何とか対処しない訳には行かない・・・ファブリーズとかはどうしても駄目なものか?」

父「他のクラスメートにガマンしがたい迷惑をかけているのなら当然なんとか対処しなければならないとは思いますが・・・」と話した上で

 

①においだけでなく話し声・色々なクセなど人間には各々の個性というものがあり、基本的にお互いを認め合い理解し合うのが基本であると信ずる旨。

 

②自分自身のことについてはとかく気付かないのが人の常なので、それをかえりみず他人のことばかりを言うのも考えもの。

ある程度はお互い様という理解のし合いも大切ではないかという旨。

 

③本人の体臭などだけでなくにおいはその生徒の家の諸事情(家業・・・肉屋・ペンキ屋をしているなど。家族の事情・・・ヘビースモーカーの父がいる。ペットを室内で飼っているなど。生活習慣・・・キムチを常食している・薪ストーブを使っている・芳香剤やデオドラントを多用するなど。)によっても様々に生じるものであり、当家のにおいもそのうちの1つと思われる。

 

④そのにおいがお互いの「共存」の程度を超えているのかどうか、私共三人ではどうしても実感できない(実際、今回の担任・主任から以外は一度も他のクラスメートや教員よりのどかのにおいが不快である旨の声は聞いたことがなかったので)ので、まずは生徒同志でフランクに話し合い苦情があるなら苦情を真摯に本人が受け止め、その上で対処を相談するのがよいのではないか?

保護者としても信ずる旨。

 

①~④担任と学年主任(以下「2人」と略称する。)に伝えていたところ、当方父の言葉をさえぎるように

主任「いろんなにおいの話はわかりましたが、もう私たち2人がこうして今、ここまでやって来ているだけで限度を超えた問題になっているということなんです。だからこそ来てるんでしょう。」との発言。


誰が「のどかのニオイが困る。」と言っているのか全く知らされない状態でその生徒の希望などで特定の名前までは言えないとしても「クラスの女子のうち5人が」と言うような具体的な指摘もなくとにかくクラスの大きな障害になっているというような発言だったので

私たちは「一体どれ位の友だちからどんな苦情・不満が具体的に出ているのか・・・。実感できない、又よく理解できないまま、対策・対策と言われても。」
と心底当惑の気持ちで一杯でそのように伝えました。

 

薪ストーブの匂い、確かに木酢のようなニオイがして苦手な人はいるかもしれないけど、のどかが一人教室にいるだけでそんなに気分が悪くなるほどのニオイなんだろうか・・・

 

ーその3へつづくー

ニオイ問題 その1 中1の3月

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のどかが中学校1年生の時の出来事です。

今、思い返しても何から何までおかしなことばかりです。 あまりにも理解できないことだったので当初は戸惑い1か月近く家族みんな煩わされた出来事です。

詳しくは文書をご覧いただけるとよくわかると思うのですが、長いのでこちらで少しまとめて書いてみます。

 

まず、事の発端は1月か2月の「居残り学習」の時、

担任の先生「ちょっと不思議なニオイがするけど心あたりあるか?」

のどか「よくわかりませんが、薪ストーブを焚いているのでそのにおいかもしれません。」

担任「服をなるべく離して干したら・・・」 と言う会話があったそうです。

その時はのどかは気にも留めずすっかり忘れていたそうで私たちにもその話はしませんでした。

 

それから1ヶ月ぐらいたった頃、3月1日の個別教育相談の時間に

担任「前に言ってたのどかのニオイのことやけど、俺も悪いにおいだとはおもわないけど確かにかぎなれないにおいだな・・・実際、お前が 原因とはみんな思ってないとは思うけど、くさいって換気してる人もいるし・・・」

「もしみんなのどかだってわかったら、いろいろ言われてお前が嫌な思いするのは俺も嫌やし・・・」

「出来るんやったら服をストーブから離すとかできたらいいなと思うし・・・」と言われた。

 

次の日。3月2日。あまり担任の先生に言われるのでのどかもクラスのみんなの様子を気にしていると 教室のストーブがついていないのにクラスの誰かが窓を開け、他の誰かが「寒い」と言ったが「でもくさいし・・・」という人がいたようです。 (何がくさいのかはよくわからなかったようですが。)

その日の昼休み担任から別の教室に呼ばれて 「ストーブから離して干すのは無理としても・・・じゃあ仕方ないっていうわけにはいかないから、何とかしんと。」

「家に薪ストーブがあるのも悪いことじゃないし、又一方そのにおいを嫌だと思うのも悪いことじゃない。両方悪いことじゃな いからうまくあわせていかんと・・・。」と言われたそうです。

のどかは帰宅後、当日の一件を私達に話してきたので私達は「友達と話し合ってみたら。」とすすめました。 のどかは「そうしてみる。」と次の日学校に行きました。

 

3月3日。 1時限目終了後、担任から廊下に呼ばれたので

のどか「みんなにのどかのことを自分から説明して理解してもらえたらそれが一番だとは思うけど・・・」

担任「でも今はみんな『何やこのニオイ?』となっている中でのどかのことをみんなに言ったら『じゃあ、のどかが悪いやん。』ってなって、 のどかが嫌な思いしてしまう・・・。」

「説明するにしても何か解決法っていうか、こういうことを努力してやってるっていうことが何かないと言えない。」

「うちはこういう事情の家(つまり薪ストーブのある家)やから判ってって言ったら『なんでやねん!のどかが悪いくせに!』って なったらあかんし・・・。」 と言われのどかが返答に困っているうちに授業始まり中断。

その直後と思われる時間帯に自宅へ担任より電話があり、私(母)が出ると

「少し前からにおいのことでのどか君と話をしているんですが、今日も“クラスの1年の振り返り”の時間で教室の整理整頓 の話題になり、その際、生徒の一人から『何となく変なにおいがするのは道具BOX等の整理が出来てないからとちがうかなぁ』 という声が出ました。クラスのみんながのどか君のにおいだと決めつけている訳ではないんですが。」

「でものどか君と判っていてガマンしている子もいると思うので、服を薪ストーブと別の部屋で干すとかできませんか。」と言われました。

私は、 「我が家は薪ストーブで暮らしていて、冬場は薪ストーブの熱で洗濯物を乾かしているので別の部屋で乾かすというのは難しいです。いろいろなタイプの暮らし方があることを 他の友達にも知ってもらった上で話し合いしたいとのどかも望んでいるのでまずは話し合う場を持つことをお願いしたいと思います。」と伝えました。

担任の先生は「話をするとしてものどか君からではなく、自分からします。」という返答でした。

その後、のどかは昼休みに別の教室へ担任に呼ばれて「さっき、家へ電話してお母さんと話したが洗濯物を別の方法で乾かすのは難しいと 言っていた・・・」「とりあえずファブリーズを買っておくので、次の朝登校時にまず職員室へ寄ってふりかけてみるように。」と告げられたそうです。。

 

ーその2へつづくー

君は本当は学校に来れるんです!? 小1の10月

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「君は本当は学校に来れるんです。」

小学校1年生ののどかに当時の校長先生が言われた言葉です。

 

不登校とルール違反は別問題だと思います。」とのどかが言い、

当時の教頭先生が「確かに別問題だったな。」と答えてから5ヶ月後。

その間、初めの担任の先生が鬱で学校に来られなくなったり、

夏休みがあったり、9月から若い新任の女の先生が担任になったり、運動会があったり・・・しましたが、校長先生とは一度も話をする機会がなくて。

 

のどかの方から「一度、のどかが校長先生とちゃんとお話したい。」と言い出しました。のどかが「校長先生とお話したい。」と言ってますと伝えると校長先生は「それは嬉しいですね。」とお話することになりました。

ただ私たちにしてみると「どうしてのどかが言いだすまで直接話をしないのだろう?」とも思いました。特に初めの担任の先生(6月から鬱で来られなくなった)は、のどかが「学校に行かない。」と言い出した時から「校長先生がお話してくださると思います。」とおっしゃっていたのにいつまでも話し合う場を持たれないことにも不信感を抱かれていたようでした。

 

のどかに「一人で話す?一緒にいる方がいい?」と聞くと「一人で話したい。」と言うので父が学校まで連れていって、のどかと校長先生と二人でお話しました。

しばらくして父が迎えに行くと、校長先生はニコニコと

「のどかくんからお話しに来てくれてよかったです。」と。

 

のどかにどんなお話をしたの?と聞くと

「校長先生にどうしてのどかは学校に行かないかをちゃんと説明したかったから、学校に行っていると決められたことを決められた通り決められた時間にやるのがどうしても嫌なので行かないことにしましたって説明したら・・・」

「そんなことをまだ1年生の君が考えられるはずがない。君はお父さんの言ってる通りに言ってるだけだろう。」って言われた・・・と。

 

それからのどかは

「違います。のどかが自分で考えて決めてお父さんとお母さんに話したんです。」

と言い、校長先生が

「いいえ。そんなことを考えて決められるわけがないんです。」と言い・・・

を何度も繰り返していたそうです。

「校長先生だってこの年になってもそんな自分で決めることなんてできないんです。1年生の君が決められるわけがない。」と言われ、これ以上言っても無理だなと思ったようです。

私たちも無理だなと思いました。

 

そしてその後、

「この小学校に君より学校が嫌な子はたくさんいるんです。みんな学校が嫌でも我慢して来てるんです。君は本当は学校に来れるんです。我慢が足りないだけなんです。」と言われた

 

そうです。

 

それを聞いて私たちは絶句してしまいました・・・

もう少し学校も楽しいよとか理科の実験とか家でできないこともできるよとか・・・

小学校1年生の子に対してあまりにも絶望的な学校のイメージ・・・

みんな我慢して行くところ。

 

私は学校に行きたくないと思ったことはなく、友達と会える場所として勉強は別として楽しいところとして通っていました。

でも校長先生にそんなこと言われたら「そんなに我慢ばかりしないといけないところ行くの嫌だな。」と思って当然だと思います。

 

その校長先生は定年まで残すところ2年。ただただ何とか問題なく定年を迎えることを考えておられたのではと思ってしまいます。

のどかに対して言われた言葉が1年生の子どもにどんな影響を及ぼすか考えて言われたことなのか本当に今でも疑問です。

学校が楽しくないところというのはある意味校長先生の本音だったのかもしれません。

ただそれを1年生の子どもに言う?と思いますが。

考えたり決めたりすることが君にできるはずがないと決めつける姿勢は今でもあきれ返ってしまいます。そんな考え方の校長先生のいる学校で子どもが自分で決めるという一番大切なことが身についていくでしょうか?

私たちはいつも「自分で考えて自分で決める。」ことが大切だと思いながらのどかと一緒に育ってきました。

いつもいつも親の言う通り、先生の言う通り、会社の上司の言う通り・・・それでは本当に一人で決めなければならない時が来ても決めることはできません。

どんな小さなことでも「自分で決める。」「決めたことに責任を持つ。」ことが生きていく上で大切だと思っています。

のどかにも小さい時からそう伝えているつもりです。

 

のどかは当時から「言っても無理やな。」と思ったようで「一応直接説明したかったから言えてよかったわ。」と言ってました。何度言っても聞いてくれないのには困ったようですが、学校にも行くつもりはなかったようなので落胆はしてなかったようですがあまりにも悲観的な校長先生の言葉には驚いたようでした。

 

今でも信じられない当時の校長先生の言葉。

それから3年か4年後、スーパーで出会った退職された校長先生はニコニコとのどかに「おー!のどかくん、大きくなって元気そうだな。」と声をかけてこられました。全く問題意識は持っておられないのだなと改めて思いました。

 

 

 

 

 

不登校はルール違反!? 小1の5月

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「さよなら遠足」の後、初めて学校に行ってお話した時のことです。

校長先生が急な外出でご不在だったので担任の先生と教頭先生とお話ししました。

初めに少しだけ父と母から経緯を説明させていただきました。

 

義務教育というのは子どもが学校に行きたいと言う場合、保護者は学校に行かせる義務があるということでのどかは学校に行きたくないと言っているので何度も意志を確認した上でのどかの意志を尊重したいと思っていること。

のどかは好奇心旺盛で親が驚く程、いろいろなことを知りたがる。知識欲はあると思う。本当は自分の希望する学校に行きたいがこの辺りで希望する学校は存在しないので行かないと決めたこと。

学校に行かないのならその時間遊んでいるのではなく、家の仕事が山ほどあるので一緒にやっていくと決めたこと。

など話しました。

 

希望する学校というのはどんな学校ですか?

と聞かれたのでトットちゃんが通っていた「巴学園」のような自分で自分のやりたい授業を決めて授業を受けられる学校。自分が知りたいことを先生に教えてもらえるのが希望ですとのどかが答えました。

すると教頭先生が

「僕もね『窓際のトットちゃん』の朗読CDつきの本を持っていて何度も聞いているよ。のどかくんと一緒だね。」と言われました。

 

次にのどかが自分の気持ちを話しました。

「決められた時間に決められた通りに決められたことをするのが絶対に嫌なので学校には行きません。」

それからずっと小学校を卒業するぐらいまで「学校に行きたくない」という自分の気持ちを表現するのにこの言葉を使っていました。

 

その後、教頭先生がのどかとお話されました。

職員室から学習指導要領を持って来られて、

教頭先生「この本分厚いやろう。これは学校で教える内容を決めてある本なんや。先生が決めてるんじゃなくて誰が決めてるんかわかる?」

のどか「教育委員会の人でしょ。」

教頭先生「いやいや。教育委員会の人よりもーっともーっと偉い文科省の役人の人が決めてるんや。」

のどか「・・・」

教頭先生「それでほら、ここ見てみたらこんな漢字がたくさん載ってるやろー。1年生から6年生までで覚える漢字が全部載ってるんや。これ全部学校に来てたら覚えられるやろうけど、家で一人で覚えられるか?」

のどか「大人になるまでには必要なものは覚えられると思います。」

教頭先生「いや。でもこれ全部は難しいと思うよ。一つぐらいは絶対抜けると思うよ。」

のどか「それぐらい抜けてもいいと思うけど。」

教頭先生「そ、そうか・・」

    「そうか。そうや。でもな、給食でも好き嫌いはあかんって言ってるやろう。食わず嫌いはもっとあかんと思うよ。」

のどか「だから4月は学校に行ってみたんです。」

教頭先生「ま、まぁ、そうやな。学校に来たくないって言って朝、いつまでも寝てたらよくないからな。あんまり寝すぎると頭がぼーっとすることあるやろう。」

のどか「学校に来なくても家で一緒に家の仕事をするのでそんなに遅くまでは寝てないようにできます。」

教頭先生「そうか。そうやな。あ、でもな。教頭先生は家から車で学校まで来てるねんけど、本当はスピード出して走るの好きやから100kmぐらいで飛ばして来たいねんけど、そんなことしたらみんなの迷惑になると思うから60kmで速度守って来てるねん。君もな・・・」

のどか「それとこれとは別問題だと思います。」

教頭先生「そ、そうやな。確かに別問題やったな。あ、そしたら私は用事があるのでこれで失礼します。後は担任の先生と今後のことを打ち合わせてください。」と去っていかれました。

 

担任の先生は初めから「のどかくんはもうきっと来ないでしょうから。ご両親もそれでいいと思われているでしょうし。」と言われ「今後は週に1回ぐらい訪問または電話で様子を聞くことになると思います。」ということでした。

担任の先生自身が校長先生や教頭先生の対応にあきれておられる感じで「校長先生が急に出張ですみません。」としきりに言われていました。

 

あまりにものどかにきっぱりと「それとこれとは別問題」と言われていたので笑いそうになってしまったのですが、スピード違反と不登校を同じように考えているというのは絶対におかしいことです。可笑しいではなく。

 

のどかが「学校に行かない。」と決めた小1の5月、今から9年前のことです。

当時は不登校=よくないことというような風潮もまだまだあったと思います。

のどかは何を言われても動じることはなかったし、私たち一家も引っ越してきて半年ぐらいですごく田舎の地元の人たちですら「不便やろ」と言われるような谷奥の水道もないようなところに暮らしていたので(沢水で暮らせる貴重な場所でした。)、きっと親も変わってるし何言ってもあかんやろうと思われていたのだと思います。

何も言ってこない人がほとんどだったので中傷などは耳に入ってきませんでした。

でももし学校に行った方が良いと私たちが思っている中でのどかが苦しみながら「学校に行かない。」と言う選択をしたときに親の理解も得られず、先生から「ルール違反」だと言われたらどんな気持ちがするでしょうか。

のどかに否定されてすぐ「別問題やったな。」と言うような程度の軽い気持ちで発言していたのなら尚更大問題だと思います。

小学校1年生の子どもにとって先生に向かって先生と反対の意見を主張するのはとても勇気のいることだと思います。

先生方はご自分の発言が子どもを傷つける恐れがないかもっとよく考えて発言すべきです。不登校はルール違反ではないのに、あたかもルール違反の悪いことをしているような言い方をして子どもに罪悪感を与えるという卑怯なやり方だったと思います。

この時は、のどかも抗議することを望んでいなかったし、「学校に行かない」ことをスムーズに進められれば良いという希望だったのであえて抗議はしませんでした。正直、何を言っても伝わらないだろうという気持ちもありました。

 

しばらくたって新宮の町の良く行くお店に行ってこの話をしたら

「のどかは自分の力で学校に行かないという選択を勝ち取ったんだね。」と言われました。確かにのどかは自分で自分の気持ちをはっきりと言葉にして、自分の生き方を選んで実現したのだなと思いました。

これがのどかの第一歩でした。

 

 

 

のどか監督 元町映画祭で上映決定! 中3の6月

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映画監督を目指している現在ののどか。

この度、神戸の元町映画館で7月24日㈫に開催される「第5回元町ショートフィルムフェスティバル」でのどか監督作品「ストーカーその後の幸せ」が上映作品に選ばれました。60作品ぐらいの応募の中から14作品上映ということで夢のようだと家族で大喜びしています。

連絡をいただいてからも何度もメールを見直して、本当に上映作品に選ばれましたって書いてあるし本当やわーと言ったり、頬をつねって夢じゃないよねーと言ったり。

 

「ストーカーその後の幸せ」は、2018年1月に撮影2月に完成したのどか監督の最新作。

小学校1年生の時から「映画監督になりたい」と言っていたのどかでしたが、映画をつくり始めたのは小学校4年生ぐらいからでした。映画監督になりたいと言いながらビデオカメラを持っていなかったのどかのところに当時私たちが和歌山の熊野でやっていた農家民泊のお客様として映像制作をされている方が来られたのがきっかけでした。

ご予約をいただいた時にお仕事のことがたまたまわかったので「息子が映画監督になりたいと言っているのですがどんなカメラがよいでしょうか?」という相談を事前にメールで送ったところ、泊まりに来られた時に「これは今は使っていないビデオカメラだからのどかくんに貸してあげるよ。」とプロ用のビデオカメラを貸してくださり、使い方も教えてくださったのでした。

その後も泊まりに来ていただいては編集の仕方を教えてもらったり、コマ撮りで一緒に撮ってみたり、一つの作品を作ってみたりしていただいたのです。

その後、小学校5年生の秋に高島に戻ってきて映画づくりの講座などに参加するようになり映画好きのいろいろな方にも知り合えて中学1年生の時から本格的?に自分で脚本を書いて短編映画を制作するようになりました。

1作目はほぼベテランの俳優さんの指導の元、2016年の夏に撮影した「或る夏の朝」。

2作目は夏休みに毎年参加している子どもキャンプで友達とつくった「トイレにかける少女」。

3作目は2017年2月撮影の「フクロウカフェ」。

4作目は2017年10月に完成した「ヘビメタ嫌い」。この時はのどかの撮影に興味を持ってくださった神戸の映画監督さんが撮影に立ち会ってくださっていろいろアドバイスをいただきました。

「ストーカーその後の幸せ」は5作目です。

私たちは映画制作については全くちんぷんかんぷん。撮影や完成上映会で皆さんにお食事をお出しするぐらいしかできなくて、すべてのどかが映画をつくるということで集まってくださるいろんな方々に協力していただき教えてもらって完成した作品ばかりです。

5作目ともなると、のどかも少しは監督らしくなれたかなと言っていましたがまさか映画館で上映される映画祭で選ばれるとは思っていませんでした。

 

2作目の「トイレにかける少女」以外の全作、主演女優を務めてくれていた大学生のMさんが大学卒業して東京に行ってしまったのでこの「ストーカーその後の幸せ」が最後の出演となり(いつかまた出演していただける日を楽しみにしていますが)、のどかにとってもひとつの区切りとなる作品となったので尚更喜んでいます。

Mさんには一緒に脚本を考えてもらったり、企画段階から「のどかはどんな感じにしたいん?」とのどかのアイデアを形にする手助けをしてもらったり、「フクロウカフェ」では映画をつくりたい!という気持ちはあるけどアイデアが浮かばなかったのどかの代わりにほぼ脚本を書いてもらったり、撮影の時は主演女優と言うよりスタッフとしてのどかが全然わかっていなかった段取りまで考えてくれたり・・・

とお世話になりっぱなしでした。これまでの作品はMさんの存在なくしてはありえないものでした。忙しい毎日を送っているようなので7月24日の上映は観ていただけないと思いますが、早速お知らせを送りました。

 

現在、のどかは9月撮影予定の新作の脚本を仕上げています。

こちらは、のどかより少し年上の高校生の女の子たちと相談しながら脚本をつくっていっています。初めて同世代の子たちだけで企画を考えるという新しい試みです。

 

今回の元町映画館での上映は次の作品づくりへの励みとなり、これまで作ってきたのどか監督作品の一応ですが集大成?といえる貴重な機会となり本当に嬉しいお知らせでした。

当日は元町商店街で元町夜市も開催されるとのことで楽しみです。

舞台挨拶でのどかも登壇します。皆様もぜひご来場ください。

 

https://twitter.com/moto_ei/status/1012637620629745665