ニオイ問題「意見書」 2017年3月23日ー中1の3月ー

滋賀県教育委員会と中学校の学校長宛に提出した「ニオイ問題の意見書」です。

経緯と我が家の対応など書いてあります。

長文ですが読んでいただければよくわかっていただけるかと思います。ぜひご覧ください。

 

高島市

安曇川中学校 学校長殿

                    意見書

                               2017年3月23日

                          1年1組 山田 和 保護者

                                山田  祐司

                                山田 佳奈子

 

 今般、本年に入ってから当家の長男、山田和の身辺に生じた「におい」に関する一件について私共は、貴校の担当教員二人(担任O氏、学年主任S氏)の指導及び対処方法に大きな疑問と困惑を感じましたので、本書を以て事案の経過の認識と共に私共の主張・要望を是非とも学校長にご認識頂き、その上で今後の校運営・生徒指導に取り組んでいただきたくここに本書を呈するものであります。

―記―

一、事実の経過

  

当家においては薪ストーブを冬期に唯一の暖房器具として使用しており、花の教室や予約制レストラン営業の際にも運転してきたが、友人はもとよりレッスンの生徒さんやご来客からも(こちらから念のため印象を伺っても)「ストーブ臭がくさい」「ケムリくさい」などのお声は一切なかった。

 

 たきつけの際や風向等、又薪の質などにより多少室内のケムリの状況に変化はあったが、上述のように営業上の支障すらなかったので従来どおり薪ストーブを今年に入っても使用していた。

 

(2017年1~2月頃)

 

・・・長男山田和(以下和と称す)よりの話。

 

「居残り学習」の折、担任より「何かちょっと不思議なにおいがするけど心あたりある?」と聞かれた。

 

和が「家の薪ストーブのにおいかな?よく判らないけど・・・」と返答すると、

 

担任から「服をなるべくストーブから離して干したら・・・」と言われたとのこと。

 

本人としては大して気にもかけなかったので家で私共二人に話すのも忘れていた。

 

この間(1~2月)クラスの誰からも「におい」のことを言われたことはなかったし、又、友人同志がそのようなことを話しているのを耳にしたこともなかった。

 

(同年3月1日)

 

・・・和談。

 

個別教育相談の時間に担任より「俺も悪いにおいだとはおもわないけど確かにかぎなれないにおいだな・・・実際、お前が原因とはみんな思ってないとは思うけど、くさいって換気してる人もいるし・・・」

 

「もしみんな和だってわかったら、いろいろ言われてお前が嫌な思いするのは俺も嫌やし・・・」

 

「出来るんやったら服をストーブから離すとかできたらいいなと思うし・・・」と言われた。

 

(同年3月2日)

以上

・・・和談。

 

当日は教室のストーブがついていないのにクラスの誰かが窓を開けた。他の誰かが「寒い」と言ったが、「でもくさいし・・・」という人もいた。

 

その日の昼休み担任から別の教室に呼ばれて、以下のように言われた。

 

「ストーブから離して干すのは無理としても・・・じゃあ仕方ないっていうわけには行かないから、何とかしんと。」

 

「家に薪ストーブがあるのも悪いことじゃないし、又一方そのにおいを嫌だと思うのも悪いことじゃない。両方悪いことじゃないからうまくあわせていかんと・・・。」

 

和は帰宅後、当日の一件を私共に報告。私共から「友達と話し合ってみたら。」とすすめた。

 

和は「そうしてみる。」と次の日に臨んだ。

 

(同年3月3日)

 

1時限目終了後、担任から廊下に呼ばれ以下のように告げられる。

 

「みんなに和のことを自分から説明して理解してもらえたらそれが一番とは思うけど・・・」

 

「でも今はみんな『何やこのニオイ?』となっている中で和のことをみんなに言ったら『じゃあ、和が悪いやん。』ってなって、和が嫌な思いしてしまう・・・。」

 

「説明するにしても何か解決法っていうか、こういうことを努力してやってるっていうことが何かないと言えない。」

 

「うちはこういう事情の家(つまり薪ストーブのある家)やから判ってって言ったら『なんでやねん!和が悪いくせに!』ってなったらあかんし・・・。」

 

授業始まり中断。

 

先述の説示の直後と思われる時間帯に自宅へ担任より電話があり、母へ

 

「少し前からにおいのことで和君と話をしている。本日も“クラスの1年の振り返り”の時間を営んでいる時、教室の整理整頓の話題となり、その際、生徒の一人から『何となく変なにおいがするのは道具BOX等の整理が出来てないからとちがうかなぁ』

という声も出ました。クラスの皆が和君のにおいだと決めつけている訳ではないです。」

 

「でも和君と判っていてガマンしている子もいると思う。服の干し方とか工夫してもらえませんか。」等の内容の架電であった。

 

・・・この架電で母佳奈子より

 

「当家は薪ストーブで暮らしている。冬場はストーブの熱で洗濯物を乾かしている。いろいろなタイプの暮らし方があることを他の友達にも知ってもらった上で話し合いすることを和本人も望んでいるのでお願いしたい。」旨、伝えた。

 

しかし、担任からは「話をするのなら和君からではなく、自分からします。」という返答だった。

 

和は同日昼休み、別の教室へ担任に呼ばれ「今日、家へ電話してお母さんと話したが、洗濯物を別の方法で乾かすのは難しいと言っていた・・・」「とりあえずファブリーズを買っておくので、次の朝登校時にまず職員室へ寄ってふりかけてみるように。」と告げられる。

 

当日帰宅後、「ファブリーズ」の件を和が話す。母佳奈子より「ファブリーズ」は色々な意味で好ましくないのでやめるように話す。まずは、生徒同志の話し合いが必要なのに何故それを行わないのか?といぶかしく思いつつもどうしても必要性のある場合には当店で以前から販売している天然素材のオーガニックフレグランススプレーを使うよう母から伝えた。

 

(3月6日) 和が登校すると担任が「ファブリーズ」をたずさえて待ち構えていた。そしてテスターっぽく、キンチャク袋風のものにふりかけ、和へ使用をすすめた。

 

和は「ん・・・ちょっと(嫌だ)。うちでもあんまりそういうのはやめた方が・・・と言ってるし。」と言うと、担任からは「おうちの人も嫌ってるんか・・・?」と不可解そうな返答。結局、和へのふりかけは行われなかった。

 

(3月7日) 先述オーガニックスプレーを本人が自分の意志でかけて登校。

 

和は休み時間に担任から「今日は何かをやってきたのか?」と聞かれたので「うちの天然スプレーをしてきた。又、昨日はストーブの煙もあまりなかった。」旨、返答する。「そうか。」との担任の答。

 

(3月8日) 体育の授業後、担任より「今日もやってきたんか?」と聞かれたので「今日もふりかけてきた。でも昨日は、少々ストーブの煙は出ていたかも。」という旨、答えると担任は「んー。昨日よりはにおうなぁ。」との返答だった。

 

(3月9日) 学校では特に教員より和へにおいの件についての話はなかった。

 

夕刻6時頃、当家へ担任より「今からにおいの件で話し度、学年主任と二人で伺いたい。」旨の申し出が電話であった。

 

6時30分頃、担任と学年主任の二人が来訪。和本人も交え5人で対談となる。

 

主任より「今回の件は、是非今すぐ何とか対処しない訳には行かない・・・ファブリーズとかはどうしても駄目なものか?」という旨の申し出あり。

 

他のクラスメートにガマンしがたい迷惑をかけているのなら当然なんとか対処しなければならないとは思うが・・・

 

①においだけでなく話し声・色々なクセなど人間には各々の個性というものがあり、基本的にお互いを認め合い理解し合うのが基本であると信ずる旨。

 

②自分自身のことについてはとかく気付かないのが人の常なので、それをかえりみず他人のことばかりを言うのも考えもの。

 

ある程度はお互い様という理解のし合いも大切ではないかという旨。

 

③本人の体臭などだけでなくにおいはその生徒の家の諸事情(家業・・・肉屋・ペンキ屋をしているなど。家族の事情・・・ヘビースモーカーの父がいる。ペットを室内で飼っているなど。生活習慣・・・キムチを常食している・薪ストーブを使っている・芳香剤やデオドラントを多用するなど。)によっても様々に生じるものであり、当家のにおいもそのうちの1つと思われる。

 

④そのにおいがお互いの「共存」の程度を超えているのかどうか、私共三人ではどうしても実感できない(実際、今回の担任・主任から以外は一度も他のクラスメートや教員より和のにおいが不快である旨の声は聞いたことがなかったので)ので、まずは

 生徒同志でフランクに話し合い苦情があるなら苦情を真摯に本人が受け止め、その上で対処を相談するのがよいのではないか? 

保護者としても信ずる。

 

旨、①~④担任と学年主任(以下「2人」と略称する。)に伝えていたところ、当方父の言葉をさえぎるように主任が開口し、

 

「いろんなにおいの話はわかりましたが、もう私たち2人がこうして今、ここまでやって来ているだけで限度を超えた問題になっているということなんです。だからこそ来てるんでしょう。」との発言。

 

特定の人物名まで出さぬとも「クラスの女子のうち5人が」とか「〇〇あたりから来ている3人を中心に苦情が・・・云々」と言った具体的な指摘もなくとにかくクラスの大きな障害になっている旨の論調だったので、私共から「一体どれ位の友だちから どんな苦情・不満が具体的に出ているのか・・・。実感できない、又よく理解できないまま、対策・対策と言われても。」という旨、訴え又、和も「僕からみんなに話して、もし迷惑かけているならどんな風に迷惑なのか聞いて話し合いしたいし、迷惑かけてはいけないのはわかっていますし。云々。」という旨、発言すると、

 

・・・主任から「そんなことはおまえが言うことではないぞ。」「そういう相談とかは今できると思うか?もしするとしてもそれはおまえではなく担任がするものだ。」という発言がなされた。

 

あたかも「担任や学年主任までは二人して出向いてきているのに、親子揃ってこの期におよんでまだクラス全体に重大な迷惑をかけていることが判らぬか。」と言いたげな語調を感じました。

 

次いで、担任から「寒くても窓を開けたりとかいう状況にもなっているし・・・」と言った旨の発言があったので、当方より「クラスの友だちにさっき申しましたようにお互い様ないし個性の共存と言った程度を超えて重大な支障をきたしているということですか?」「又、それが授業を受講すること自体に重大な障害となっていると判断されているわけですか?」「又、それがほんの一部のメンバーでなくクラスのまぁ何%とまでは特定しなくても『大半』というべき割合の級友がかような学校生活進行上の障害を受けているとおっしゃりたいのですか?」等と問い質したところ、いずれも「全くその通り。」という旨の返答でした。

 

又、担任からは今後のことにふれ「このままだと来年度和君と一緒のクラスになるのはイヤやということになっていく。そんなことになると本人のためにも困ると思うので、今のうちに緊急に手を打ってほしい。」と和のニオイが来年度のクラス編成上の支障にすらないかねない旨の発言がなされた。

 

主任は更に「話し合ってわかってもらうと言っても、今これ以上、ガマンして下さいとか言っても果たして相手に理解してもらえるものか。とても疑問で云々。」と述べ、「これ以上?」対話・交渉・共調の可能性はない旨主張した。

 

何回か生徒同志で話し合ったが上手く行かなかった上でのセリフなら判りますが、私共としてはなんとも納得がいきませんでした。

 

当夜の訪問での「2人」の表現として「これはあくまでご両親へのお願いである。」「どんな暮らし方をされるかは全く自由である。」と言った字句がありましたが、実際のところ、

 

ⅰ)具体的にどのような人物が何人位、どのような程度・形のクレームをしているのかという提示はないまま「クラス全体が迷惑を被っているという抽象的被害存在。

 

ⅱ)教室に変なにおいが近頃するとしてもその原因が和1人であると特定する根拠としては、「和がいるとくさいと感じる。」(2人)「校舎の廊下を歩いてきただけでくさい。」(主任)「和がいる時は理科室がくさくなっている。」(主任)といった教師「2人」の自分たちの感じるくささという点しか提示されていないこと。

 

ⅲ)何故、生徒間の対話を和本人も誠意を以て行いたい旨(場合によっては謝罪も含め)、切望しているのにそれを禁ずるのか、不可解であること。

 

ⅳ)「この家に入らなくとも家に近づいただけでニオイがしました。」(主任)と吐露していることからも察せられるように、又、「ファブリーズ」をとても好適なツールとして用いようとしていることなどと併せて考えるに「2人」は化学物質等のフレグランスには好意的・親和的である反面、薪ストーブの木香や木酢のような自然的フレグランスには大変不慣れで「くさく」感じる感性の持ち主であり、それ故に様々な個性の1つとしての「香り」の平等的共存を前提とした対処・指導を閑却し、「迷惑なニオイ」としての薪ストーブ臭を駆逐し、「正しいあるべきニオイ」としてのケミカル系フレグランスで教室を統一しようという方向に走っているのではないかという疑念。

 

・・・等により、私共は「2人」のこの夜の申出『なんとか今すぐ手を打って和君がニオわないようにして欲しい。』にはにわかに承服し難い思いでした。

 

そこで、「他人に迷惑をかけてでも個性を出せばいいなどとは思いませんのでもし、本当に迷惑なのであれば、当方としても多角的に打つ手はありますので検討させて頂きます。」と一般論的な観点から返答しました。

 

それを受けて「2人」は謝辞を残して帰途につかれました。

 

その後、私共家族3人で話し合いました。和は「どうしても本当にみんなどう思ってるのか直接聞いて、納得して話し合いたい。その上で、謝るなら謝りたいし、直すなら直したいし。」と強い決意の調子で述べました。私共2人も賛成でした。

 

とても鎮痛で重苦しい夜でした。いつもは多食な息子も夕食はほとんど摂れませんでした。

 

「まずは話しやすそうな男子の友だちからでいいから聞いてみろ。」と父はアドバイスしました。

 

(その後和は、友人等へ聴き取りを行いました。)

 

―教室がくさい原因は和だから何とか対処して防止してくれないと困ると担任や主任から言われているが、本当に自分はくさいと思うか正直に言って欲しい。又そう言う声やウワサを聞いたことがあるか教えてほしい旨、伝えて聞いていったようです。-

 

3月10日 男子A君(同じクラス)

 

「別に。そりゃニオイってするって言えばするんかも知れんけど、どーってことないし。男子でそんなこと言ってる奴1人もいいひんし。まぁ女子の中にはよう知らんけど、もしそんなん言う奴おっても『ウザイ』って言っとけば済む程度のことやし。」

 

3月16日 男子B君(同じクラス)

 

「うーん。いや、まぁ別に大丈夫ちがう。別に気にせんでいいと思うで。」

 

3月21日 男子C君(同じクラス)

 

「うーん。別に全然しいひん。もしするにしてもそんな気にするもんでもないし。」

 

美術部顧問

 

「波があるって言えばあるのかもとは思うけど・・・(和の体臭が。)美術部員からはそういう苦情は一切ないわ。それにニオイとか顔とかそういう付属的なものはその人を人間としてすばらしいなと認めていけば、どんどん薄れていくもの。だから和君も人間としての良さをどんどん高めていけば、つまりがんばって他人の面倒を見るとか親切にするとか・・・そういうことをすれば、そういうニオイとかっていうのは自然と忘れられるものだと思う。」

 

美術部:女子Aさん(同じクラス)「ようわからん。」

 

D君(別クラス)「1組からそういうウワサは全然聞いたことないな。それにそんなこともし言うてるんやったら、そんなクラスはクソや。」

 

3月22日 母佳奈子が女子Bさん(同じクラス)のお母さんにより伺う。

 

「うちの娘は女子の中で和君がクサイとか困るとか言ってるのを聞いたことはない。」

 

「たしかに冬場、教室にニオイがするなとは思ったけど・・・自然派っぽいニオイかなとも思ったけど・・・むしろとても苦しくて困るのはそれよりも夏場とかの女子のバンとか8&4とかのフレグランス。あれは本当に息苦しい。」とのこと。

 

・・・いずれも今般の「ニオイ問題」を緊急切迫したクラス全体の問題として認識している旨の発言はなく、あまつさえその原因が唯一、和一個人であるという主張は全く見当たりませんでした。又、かようなうわさめいたものを聞いたという声すら1件 

もありませんでした。

 

却って男友だちから寄せられたのは、かような「ニオイが云々。」といったことをしつこく問題にするのは女々しいこと(女性差別的表現でよろしくないとは思いますが)である、気にしなくていい、と言った声でした。

 

 美術部の顧問のご指導もお立場上、言葉を選んだ上で何が大切かを示し、勇気づけて下さったものだと感じました。

 

そして私共二人は強く感じました。「今までのあの「2人」の主張は一体何だったのか?」と。このギャップは一体何を意味するのか?と。

 

 生徒からは一向にクレームなど聞かないのに担任から日に日にクラスの支障だ、迷惑だと言われ、その挙句「ファブリーズ」をふって教室に入れと迫られ、オーガニックスプレーまでつけたりと努力もしたのに、その上遂には夜に2人の教師がやって来て、もう猶予はない・何とかしてもらわないと困る・みんな迷惑している・判ってくれなどと言い出すのもおこがましい・・・同じクラスになるのも嫌がられる・・・「お前」が話せるようなことではない云々。

 

―たまたま和が勇気を持っていてくれて、私共もきちんと納得できることでないと賛同しないタイプの親であり、親子の対話も十分な家庭だったので、和は次の日の第一歩を自分で歩み、自分で扉を開けられたのです。―

 

 「みんな僕のことをクサイって思って陰で憎んでるんだ。」「僕が気づかないだけだってこと?」「先生がクサイって言うんだもん・・・」「そんなに嫌われてるんだったらもう学校なんか行けない・・・」

 

 3月10日から不登校になっても何ら不思議ではない状況ではありませんか?「迷惑している人たち」(それが誰なのか一体何人なのかどんな不満なのか全く私共は判らないままです。)の立場を重視しろとおっしゃるのも結構でをすが、これだけの重圧

を平気でかけられた和の心はどうなのでしょうか?私共の心境は?どうお考えでしょうか?もし、お2人の教員の方々に同様に「先生職員室でニオうっていう他の先生方の声が・・・」とか言い続けられた上に、ある夜突如、校長と教育長がおいでになり「もうなんとかしてもらわないと・・・。判ってもらいたい?話したい?何言ってるんですか、クサイんですから、クサイんです。君は。こうして2人揃って来てるんだから文句あるんですか?云々。」と迫られたらお2人はどう感じられるのでしょうか?「一体何事?」「要するにこの学校にはもういるなっていうことか?」とか感じませんか?

 

相手は中学生1人。自殺していても不思議ではありません。(事実私はとても注意深く3/9以降、毎日和に目を配っています。)

 

あまりに教師として鈍感すぎませんか?あきれ果てています。そしてこのようなケースでもし本人が自殺したような場合、その死後に友人・クラスメートから先述のような声を聞いた時、親は一体どんな心境になるのでしょう?考えたことがありますか?

 

「教師に殺された。」この一言ですよ。

 

 もし、今回私共がこのような訴えを貴校へ起こさず、この一件は「2人」の指導により解決して上々だったなどという理解になっていくなら、今後同種の事態が生じたときに同じ手法のアプローチがなされ、先述のような大変な悲劇を招くかもしれないと思うと空恐ろしい気持ちで一杯です。これは必ず策をとるべき問題と思料し本書の訴となった次第であります。

 

二 当方の論旨

 

  今般の問題を通じ私共で是非とも訴えたい点を論述いたします。

 

①「個性の共存」・・・こそ社会の基本。学校はその第一章ではないのか?異なる者同士の存在はきれいごとではありません。

 

ある個性は他の個性にとっては苦痛であることは当然あり得ることです。お互いそうなのです。当然、ある程度ガマンをし合わないことには成り立ちません。それは苦痛をともないます。苦痛し合うことです。これが価値観の共存を前提とした自由主義社 

会の根幹です。「お互い個性を大切に人を傷つけないで。」などというきれいごとの人権学習だけではどうにもならないことです。 

ある程度「嫌がられ合うこと」が当たり前なのです。 

これを理解せず「友だちから嫌がられるようなことになったらお前の為にならないから、直せ。直せ。」などというのは、本人への思いやりに名を借りた統一的価値観の強要に傾く危険性を大いにはらんでいます。「1人残らず全員に嫌われないようにしないと!皆に好かれるようにしよう!」などというスローガンは素晴らしいようにみえて実は大変危険なものということを教育者は判って指導に臨むべきだと思います。ニオイ・食べ物・声のトーン・顔つき・ハダの色・・・そんなことでどうしても好きになれない人のことは好きになれなくても今は仕方ない。それでいいのではないでしょうか・・・自分のある個性の故に何人かの人から嫌われても・・・。

 

 でも本当に大事なもの人間的な相互理解の気持ち、そうしてそんな嫌いさ、異いをいつかはお互いうめていこう、乗り越えていこう・・・そんな考え方さえ忘れなければ良いのでしょう。そんなことを教えるのが学校教育の場であると確信しています。

 

(「みんなから好かれないといけないのでまず香水で十分に体臭を消してから入るのよ。」新人ホステスさんにママさんがアドバイスしているのなら結構でしょうが。中学校はキャバレーの訓練所ではありません。)

 

 そしてもし、この個性の共存が尊重されるべきだと理解されるならば、ある個性をクラス内でその生徒本人の希望に反してでも制約すべき場合とは、

 

1.他のクラスメートに対し、その個性(この場合はにおい)が課業受講を中核とする学校生活の適正な進行に重大な支障をきたす程度の侵害となっていること。

 

2.その侵害を被っている他の生徒が当該学級の大半を占めること。

 

3.その侵害による支障を防止するために発生者の「個性(ニオイ)」を消滅させる措置を講じないと回復不可能な苦痛を上記、  多数の者が切迫して受けており、その程度が結果として当該発生者へのぬぐいがたい不信感・遺恨を生じる恐れが大きいこと。

 

の3要件を満たす場合であると思料されます。

 

 今回のケースの場合、先述の諸事実(とりわけ聞き取り結果)に照らすと、この要件を充足しているとは到底是認されないと思われます。

 

・・・3/22、尚更のように担任から和に「何か今は対策はとっているか。」と迫り、さらに「友人に話を聞いたところ皆大したことではない旨、話していた。」と和が答えたところ「親しい奴はそりゃ悪く言わないだろう・・・でも陰で迷惑している人がいないとは限らないし云々。」という旨、反論を担任からなされたということですが、あれだけの友人等があれだけの答をくれているだけで既に本件は先述の3要件を充足しているとは言い難いケースであることは明白です。

 

 (3月9日の折、この要件が個性制限の許容されるべき場合の状況として当方が提示したところ、担任も認め、さらにその上で本件はこの3要件を満たしているという確答でしたが・・・)更に担任は「一体誰がそう言ったのか?」と証言者の名前までわざわざ聞き出したそうです。当人たちを威圧するつもりなのでしょうか?とても不健全な精神構造を感じます。一方で「被害者」が誰なのかは一切私たちには言わないで・・・

 

②当事者の対話が問題解決のための最優先の手法であること。①に述べた如く、異なる「個性の共存する社会」(クラスも又然り)においては、お互いに対話して調整し合うことは不可欠でそれをせずに何か自分にとって不快な分子が他に存したらすぐに管理者やボスに訴える・・・こんな姿勢が良いはずはありません。教師はもしそんな訴えが来たら、「とにかくまずあいつと話をしてみろよ。それでまとまらんかったり、うまく行かんかったらもう一回おいで。」と言うべきではないでしょうか?生徒指導の基本中の基本です。

 

 もちろんその相手が当該生徒にとって話もできない程、「粗暴そうな奴」とかならば別でしょうが、果たして和はそんな風に見えたのでしょうか?とてもそうは思えません。そして今日に至るまで誰からもニオイのことで訴や相談や話し合いを求められ

たこともないのです。

 

 「生徒同士を話させてもめたら大変。そこに親もからんできたらもっと大変。だったら始めからこっちでとにかく芽をつんで文句が出ないようにして・・・」「予防的に教師が動いておく方が安全・・・」

 

果たしてそうなのでしょうか?ある程度、生徒同士の話し合いに委ねても上手く行きそうにない時にタイムリーに教師が介入する、アシストするのは当然必要でしょうが。

 

 今般の一件のようにむしろ和本人が対話を切望しているのにそれを完全にシャットアウトし、(先述「お前から言うようなことではないぞ。」)一方的に和に「ニオイのもと」と絶てと迫る。理不尽としか言いようがありません。私共も本当に相手様のことが判ればそれに応じた誠意を尽くさねばならぬことは承知しておりますが、全くそれがないのではいかんともしがたいのが本音であります。生徒同士の対話・協調ということをさせずにその上で「モト」をたって解決したように思っても、表面上、問題事象(物理的現象としてのくささ)が消え「クレーム」なるものが出なくなったとしても対話を通じて見られるはずの双方の理解も共感もなく、「悪かった。」「判ってもらえてよかった。」と心から双方が「もめごと」を通じて却って分かり合うということができない訳です。全くもって「産湯流して赤子も流す。」の愚行です。

 

③指導者(教師)たるもの常に「自分の感性は偏っているのではないか?」と自戒しつつ生徒指導に当たるべきである。

 

三、要望

 

①今回の一件も踏まえ、今後はクラス内の生徒間に諸問題が生じた場合はまず第一に生徒同士・当事者間の対話により歩み寄り、理解し合い、問題を解決することが不可欠な基本であることを認識し、対話がスムーズにすすむならば生徒間での解決に委ねることを旨とした指導を行うようにすること。

 

②①の手法が不調に帰したり却ってトラブルを生む気配がある場合、教師がタイムリーに介入するのは基本的に良好なことであるがこの場合も介入にはなるべく謙抑的であるよう心掛け、指導に臨むこと。(リーダー格の生徒の仲介を促すのも良いと思われる。)

 

③個人の属性の制約を要求するのは先述二、論旨①中で論じた3要件を満たした場合に限るのを原則とするよう心掛け、措置に当たること。

 

④生徒に対し、状態的に「お前―」と呼ぶのは避けること。当家では親子間でも決して「お前」と呼ぶようなことはありません。

 

(3月9日の訪問の際の学年主任の発話「お前が・・・云々。」を耳にしているのは大変不快でありました。)

 

 ちなみに本庄小学校では男女問わず児童を「○○さん」と呼称しておられました。当たり前のことです。実践してください。

 

 今後、本意見書を交え、ご指導賜ると共に交代である場合は次期校長・担任等へも必ず本件の申し送りをして頂くよう要望いたします。尚、本書は校長のもとにとどめるのではなく、必ず「2人」の教員にも読んで頂きたいというのが和本人の希望なのでよろしくお願いいたします。

 

四. おわりに

 

 約1か月に亘って和は、「中学校」より学校内にいるだけで「くさく」「重大な迷惑だ」と言われつづけて校生活してきました。

 

クラスの「誰が」一体そういう声を上げているのかも全く知らされず、又それを「知るな」と要求されつつ。そのことをまず重大に受け止めて頂きたい。昨日も担任が和本人が友人たちに「僕クサイかなぁ?誰かクサイって言ってる?」と素直に聞いたこ 

とをとがめだて「オレの言ってることが信用できひんっていうことか?」と怒ったそうです。全くの勘違いの暴言とあきれました。友人の意見を聞きたい、対話したい、当たり前のことです。もし「迷惑」なら本当にどのように「迷惑」なのが実感したい。 

当然の誠意の現れです。教師の言ったことを信用した上で行っても何ら当たり前の行為ではありませんか?

 

 先述のような学友たちの素直な声が上がってくることが実はそれ程にも彼ら「2人」にとっては「不都合な真実」なのでしょうか?

 

 この訴は誰よりも和にとってそして、私たち一家にとって名誉をかけた闘いなのです。

 

「くさい奴」「くさい家」と2人の教師から言い続けられること(他の方々からは一言もかような声は伺ってはおりません。)自体では少しも傷ついてなどおりません。

 

 行政の肝いりで地域アピールの大行事として高島全域で2~3月にかけて催された「風と土の交藝展」でも薪ストーブのある暮らしが前面に押し出され、高島の魅力の一つとしての自然な暖房がアピールされています。理科室にでもこの際、一基、薪ストーブを置いてお勉強されてはいかがですか?と申し上げたいです。又、もしご指導通り「ファブリーズ」をふりかけた暁に今度は別の生徒から「和くん、トイレ芳香剤みたいで臭い!」って言われたら今度は「じゃあ、シャルダンエースだ!」ですか?あきれて物も言えません。

 

 他人に個性の共存(いろいろな個性を認め合って暮らしていく。)という範囲を超えて集団全体に重大な迷惑をかけながら、とるべき措置もとらず、迷惑を垂れ流しつづける一家。そういった評価とそれを基本にした要求的対応(ファブリーズをかけてニオイを消せ等)が私たちの名誉を著しく損なっているということなのです。この点を重々、誤解なきようお願いしたいものです。

 

今後、又、次の冬のシーズン、もし和のことを「異臭がして困る」「なんとかして欲しい」と訴えるクラスメイトが万一出たら、その時はすぐ和に告げてその生徒たちと対話させ、誠意ある対応を彼らにとるよう指導し、双方の協調・理解を実現するよう指導下さるよう重ねて切望いたします。

 

 具体的な被害の特定と明示、そして、その原因が唯一和本人であるという合理的な判断根拠の提示もなく、クラスの「公害」のようにこの冬、扱われつづけてきた山田和本人と私共の精神的苦痛は回復不可能な甚大なものであります。

 

 「お前がクサイ」でも「友だちには言うな。聞くな。」・・・。正に罪悪感と孤立の強要の日々でした。和にとって。

 

 事実、不登校の可能性も大きいものでした。私共2人は本人を「きっと友だちは判ってくれるはず」とはげましつづけました。

 

そして今、春がようやく高島にもやって来ました。

 

 今後のクラスが対話を協調の芽生える明るいものであることを願わずにはおれません。

 

 

 

2017年3月23日 2016年度1年1組 山田 和 保護者